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2013年12月23日月曜日

モリエール 『プシシェ 』




『プシシェ』 モリエール
モリエール全集より

美の神ビーナスよりも更に美しいと評判のプシシェ。
ビーナスにとっては、苦しみと屈辱。
美の神ビーナスの嫉妬と人間の姉二人の嫉妬は相似である。
二人の王子がプシシェに恋をしている。これもキューピットの恋と相似である。
王妃はほとんど登場しない。
本来は神が与えた賜giftであったはずのプシシェ。神はそれを返せと迫る。なぜなら、プシシェが予想以上に素晴らしいからである。あるいはプシシェは神が創ったと辛うじて神は自負しているが、神が創ったと言うよりも、プシシェは自然に生まれたものである。神は自然を嫉妬している。自然より上位に立つはずの神々だが、自然の方が神を上回ってしまった。プシシェが女神を上まわったことは、すんわちプシシェは自然の最高美を体現するものである。
神は奪う神という性質を露わにして、人間の嫉妬と同じような嫉妬によって、嫉妬を鎮めるために、プシシェを生け贄として差し出すように求める。ギリシアの神々は嫉妬深い、人間あるいは人間以上に嫉妬深く、「運命」として復讐をする。ビーナスはプシシェを生け贄として取ろうとする(take)。プシシェはそれに従う。
 キューピットは反乱を起こす。キューピットはいつも子供だから、たまには大人になりたいと、美しい大人の青年の姿に変身をする。でもその本性はちっちゃな子供である。プシシェはこの青年に一目惚れをするが、それはどうも、愛と罰を重ねたものとして体験をする。これは一種のマゾヒズム的な側面も持っている。また、キューピットこそが嫉妬深い。
 プシシェは神々にとっても美しく、フローラとゼフュロスが恋人同士なのだが、その療法ともがプシシェに仕える、つまり、神々を従えるまでにもなっている。プシシェの姉二人は、プシシェが不幸になったと思ったときには姉らしいが押しつけがましい愛情が芽ばえるが、プシシェが言い思いをしていると知るやいなや、プシシェの死を願う。姉も愛情と嫉妬の二面性を持っている。姉は、どうやって仕返しをする事が出来るかを考えて、プシシェとキュービットを別れさせて、プシシェを破滅させようと画策する。その方法は、姉たちが、プシシェの心のなかに嫉妬という毒を注ぎ込むという方法である。姉たちは、プシシェに欺瞞があるはずだ、裏があるはずだ、と試練を与える見方をばかりをしているのだが、プシシェにこの嫉妬の毒を心に注ぎ込んで、そそのかすという方法は、すんなりと成功する。
 名を明かさないキューピットには、裏があるのではないか、他に女がいるのではないか、秘密かがあるから名前を明かさないのか、など疑心暗鬼になり、どうしてもプシシェは正体を知りたいとキューピットに請い願う。この名前を明かす・明かさないというのは、ワーグナーの『ローエングリーン』と似ている。この両方の場合、愛の本質からすれば、その人物の正体は付帯状況にしか過ぎず、愛の本質は、その人そのもの以外の何者でもないという事である。キューピットは怒る。それにキューピットは幹部クラスの神ではあっても、ちんちくりんのおちんちんを持った子供であるという本性でもあるし。誰であるのか秘密を明かさないという誓いを破ったプシシェ。しかし、これはそもそも一体何の誓いだったのか。愛の本質を貫き通すための誓いだとしても、恣意的に押しつけられた誓いには違いないのである。絶対に知りたいと破滅を覚悟で強く主張するプシシェ。これは何故なのか。相手を知りたいということは何故なのか。何の比喩なのか。これは女性の本能のようなものでもある。相手を知らずして、愛を全うする事は出来ないのである。そして相手を知るとは相手の何を知る事であるのか。相手の本性が何であるのかを知りたいのである。それはまっとうな願いでもある。その大きな関心事は、本当にこのさきもずっと側にいてくるのか、そして、子供の父親として扶養者として全うしてくれるのか、という無意識的だが、決定的な本能をもっている。
 キューピットの反乱とプシシェが誓いを破るに至ったことによって、神であるビーナスは、復讐を貫徹するために、プシシェを地獄へと流す。つまり命を取り、永遠の苦しみを与える事にするのである。
 そこにジュピターが現れる。彼は審判者であり、そして緩和をする者である。こうなると、ジュピターは、そこに介入してきて、掟を定めて緩和する審判者としての役割である。ジュピターは父親のような立場であり、もしかして、キューピットは母親のような立場なのかも知れない。
 もっとも、ビーナスは、男たちの崇拝を得るためにキューピットを利用してきたし、ジュピターは、自分の好色な欲望を満たすために、キューピットを利用してきたのであるが、いずれにしても、キューピットは楽しみと喜びを与える神であるので、キューピットに、嫉妬の復讐をさせる役まわりを与えるのは、そもそもはじめからビーナスが間違っていた。キューピットが従順だったのをいい事に、ビーナスはキューピットに本来の仕事以外の事を言いつけていたのである。
 ジュピターは、嫉妬のあまり、人間に復讐しすぎると神としての威厳が落ちるものだ、とビーナスを諫め、もう止めるように申し伝える。もちろん神が鉄槌を下すときには、一気に、一網打尽でカタストロフな壊滅を与えるものだが、それは本当に余ほどの事態の時だけである。ビーナスのように嫉妬に狂ってチマチマと経略して、仕舞いには一人の人間を地獄に落とするのは、宜しからざるやり方である。
 解決策としてゼウスはプシシェに永遠の愛を与えることを決める。つまり、神々の仲間に入れる事とする。神々の世界は一種の人工的な世界であり、プシシェは自然から離れて、彼らの仲間入りをする。人間から神に格上げされ、キューピットと結ばれる。ビーナスは人間に負けるという侮辱から解放されて、プシシェを許す。その後は永遠に幸せに暮らす。このあたりは、『くるみ割り人形』の主人公クララが人形たちが住むお菓子の国に永遠に住む事になるいきさつと似ている。