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2021年10月22日金曜日

『パリ』エミール・ゾラ




1898年作品(執筆時期は1896年12月〜1897年8月)

「ルーゴン・マッカール」叢書全20巻(1871-93)のあとのシリーズとして「三都市叢書」が構想されました。『パリ』はその中の一つです。ちなみに「叢書」とはsérieなので、連続、系、シリーズというような意味です。

 

・『ルルド』"Lourdes", 1894年

・『ローマ』"Rome", 1896年

・『パリ』"Paris", 1898年


「ルーゴン・マッカール」叢書全20巻では、おもに第二帝政期(ナポレオン三世の時代)の二十年間のフランスとりわけパリを舞台に描いてきました。ルーゴン・マッカールという家系を一本の遺伝的な流れとして描いています。この遺伝傾向と社会環境の交錯を描いています。もっともこの遺伝的な流れは必ずしも明瞭なものではありませんが。この「ルーゴン・マッカール」シリーズで描かれたのは、第二帝政が崩壊したあとの第三共和制の時代に書かれましたから、第二帝政時代のパリを回顧的に描いていました。それに対して、この『パリ』で描かれるのは、ほぼ同時代において、つまりほぼリアルタイムに描いています。時差は2年から5年位のようです。この時代は、政治的な区分では第三共和政であり、文化的な区分では、ベル・エポックの入り口あたりです。私たちにとって、ベル・エポックというと、当時としては新しい文化の香りのする優美で幻想的なイメージがあります。アール・ヌーヴォーの美術や音楽やそして女性性の躍進というジェンダーやセクシュアリティが関わることも特徴的です。現代でも、このベルエポックの時代を懐古して、良いイメージをともなった文化複合体と肯定的にみなされています。そういう面も確かにあったのでしょう。しかし、ゾラの描くこの『パリ』は、それとは全く違う、パリの裏の面を描いています。ベルエポックの文化は民衆の文化を巻き込んでいったものの、そもそも明らかに金持ちの文化、とりわけブルジョワのための文化です。ブルジョワは経済的政治的に確固とした勢力を獲得し、貴族的な古い文化を模倣しつつも、それとは異なる新しいスタイルの文化も求め始めたのでした。ゾラが描くパリは、主としてブルジョワと第四階級の対立の先鋭化を軸としています。事態は非常に切迫しています。この第四階級とは、極貧の労働者たちです。舞台は、タイトルの通り、パリであり、いくつかの領域に分けられて話が進行します。そして、それぞれの領域における退廃ぶりを描いています。



貧民たちの生活の有り様。その悲惨。

堅実に働いても報われず、極貧のなかで過ごす人たち、そして病気によって亡くなる人たち。これらの悲惨な状況でテロリズムという病が芽生えます。

ブルジョワ階級の生活の有様

その華やかさと退廃ぶり。とくにブルジョワの家庭の退廃ぶりが描かれています。エヴ(デュヴィヤール男爵夫人)とその娘カミーユが、憎み合いながら、ジェラールという美男子を巡って熾烈に争います。

 

議会制民主主義の退廃

議会制民主主義が活況を呈しています。政権獲得争い、そして大疑獄事件が描かれています。これは議会制民主主義政治の退廃ぶりを描いています。本来の政治的な機能を果たせていないのではないかという疑問を呈しています。


カトリック教会の行き詰まり

ピエール・フロマン神父を軸として、カトリック教会の行き詰まりの問題の軸となっています。貧民たちの救いようのない悲惨な状況を、カトリック教会は暗黙のうちに容認しているようなふうです。カトリックには社会を改革する力はないものとみなされています。ピエールは神父をやめて還俗しました。

 

テロリズム

そしてストーリーの主軸はテロリズムです。これは現代的なテーマでもあります。当時は散発的に爆弾テロが発生していました。ゾラはあるときには娼婦を描いたり、あるときは殺人鬼だったり、貧民に蔓延るアルコール中毒だったりを描いていましたが、ここではテロリストです。それぞれリアルな感じのする描写です。このテロリストの描写は、そのものになりきったような想像力です。こういったリアリティのある描写はゾラの特徴でもあります。とりわけ、テロリストの実行犯たちののなかで、最大規模の爆弾テロを仕掛けようとする人物が主人公ピエール・フロマンの兄であるギヨーム・フロマンです。彼は化学者であり新型爆弾を発明します。彼はサクレ・クールの地下に大量の爆薬を仕掛けて、数千人を爆殺しようとしました。なんとか寸前に未遂には終わりました。しかし、そもそも彼は決して冷酷な人間ではなくて、人情味のあつい人間でした。こういった設定もリアリティを感じさせるものです。テロリズムの病いが描かれています。


希望

ピエールとマリーが結婚して、子供が生まれます。またギヨームの3人の子どもたちがそれぞれの進路を見出し活躍します。とりわけギヨームの息子が新しい発動機を発明したことが明るい未来を照らし出しています。こうした科学技術の進歩に期待していることが認められます。この発動機は、ギヨームが発明した新型の強力爆薬を転用したものです。

こうして、遺伝的な傾向は親から子への受け渡され、発展していき、科学技術による社会環境の改善に向けて期待を込めて描かれています。