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2015年1月11日日曜日

モリエール『人間嫌い』コメディー・フランセーズ2014年12月公演


 モリエール『人間嫌い』 コメディー・フランセーズ2014年12月公演


アルセストは、はじめからセリメーヌがどのような人間であるのか知っているはずです。あるいは少なくとも推察ができたはずです。たぶん、アルセストは知っているにもかかわらず、推察できるだけだ、と事態を軽くして見ようとしているのかもしれません。アルセストはセリメーヌがどんな人間であるのか確証を得ようとします。しかし自分が見たいように自分が欲するように確証を得ようとしているとも言えます。そのために彼はセリメーヌに振り回されます。アルセストはセリメーヌの両面のうちの片方だけ見ようとしていました。そして良い方が彼女のメインであるというか全部であると信じようとしていました。あるいは彼は彼女を変えさせようとします。「裏切り」という言葉がよく出てきます。確かにセリメーヌはアルセストに愛を誓っています。今回の演出では、セリメーヌとアルセストは何度も口づけをすることによって愛を誓っています。
セリメーヌは自分の周囲に複数の人物をうまく配置することによってシステムを作っているのでしょうか。どうやらそのようです。また、セリメーヌはオロントをアルセストと同列においてそれぞれに役割を担わせている、つまり役割分担をさせているのでしょうか。これもたぶんそうなのでしょう。オロントには金と地位など世俗的なものの役割を担わせて、アルセストには愛、それも純粋な愛の関係を担わせているようにも思われます。オロントにはいわば「現実」を割り当て、アルセストには「愛」を担わせているようです。こういってよければ、オロントは結婚の対象であり、アルセストは愛の対象であるということになるでしょう。仮定の話しですが、もし、セリメーヌがオロントと既婚であったとすれば、アルセストはセリメーヌとの純粋な愛情関係を維持できたのかもしれません。というのも、この関係は古くからの宮廷恋愛の流れにあるような関係であり、この枠では純愛を維持できる余地があるからです(既婚の貴婦人と未婚の騎士の純愛関係のような)。これはいわば伝統的な純愛関係の代表的なスタイルの一つであったのです。
しかし単にセリメーヌが未婚であったことから、アルセストにとってセリメーヌが裏切ったということになってしまうのです。アルセストは彼なりにエゴイストであろうと思われます。純粋な愛によって、セリメーヌの愛も現実も全てを支配し所有してしまおうとして、それに背くならば「裏切りだ!裏切りだ!」だと騒ぎ立ててセリメーヌを責めていたのです。セリメーヌの心はアルセストの側にあったのに。彼は彼女の存在全体を愛の名の下に所有しようとしています。
アルセストはセリメーヌの裏切りを認定して彼女を切り捨て、すぐさまもう一人の女性に愛を求めます。そのときにアルセストの欺瞞は顕在化します。この演出ではこのようにアルセストの欺瞞を強調しています。この劇のラストではアルセストは友人からいい加減にしろとばかりに激怒されます。
セリメーヌの側にもやはり落ち度は大きかったと思われます。外的な状況によってというよりは内的な不手際によって自滅していくのです。

アルセストとセリメーヌの二人のうち、欺瞞はどちらの方が大きいのでしょうか。セリメーヌでしょうか、アルセストでしょうか。これはきっと解釈が分かれるところです。原作でもそのように解釈が分かれるようにつくられているのでしょうか。先日DVDで見た2000年の公演ではセリメーヌの欺瞞が大きく、今回の2014年の公演ではセリメーヌとアルセストの両方の側に欺瞞が見られます。