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2015年2月11日水曜日

シャルル・ペロー 長靴をはいた猫


 シャルル・ペロー 長靴をはいた猫 LE CHAT BOTTE

 教訓としては、目先の欲に走らないことが、幸福になれることもある、ということでしょうか。
 何事も素早く事が運ぶという特徴があります。全てが、気持ちが良いくらい、すっきりとことが運びます。プリンセスはこの青年に恋をして、その日のうちに結婚したというのが、もっとも素早さを表現しています。侯爵となった青年は、ほとんど何もしていません。

 物語は、父親の遺産のうち、兄たちが主なものを持って行ってしまい、この青年は猫しかもらえなかったという不幸から始まります。何の役にも立たない猫。猫は存在が否定されます。しかし猫には隠された知恵があります。この存在の否定と優れた知恵の発現には相関があるようです。この二つは物語上でも、とてもマッチした組み合わせになっています。
 また所有に関しては、青年は物質的には持たざるものであり、逆に、知恵という無形のものを持つことになります。猫は物質的には存在を否定され、知恵という無形のものに関しては、物凄い存在感を発揮しています。
 そしてここには所有と被所有の関係がなりたっていますが、これが同時に主人と忠実な僕の関係を形成します。このような関係になれたのも、この青年が決して猫を軽んじることがなかったからです。この青年は無色透明のような人物で、ほとんど物語のなかで描写もされないのですが、優れた忠実な僕(しもべ)を持ったり、プリンセスに恋心を起こさせたりという特殊な特性・性格を持っています。これは王になる資質もあるということなのです。現在の王は、直感的に、この青年を見込んだとも言えます。この青年は何の実務的な能力を持ちはしないのに、このように優れた者たちを周囲に持つことができるという資質を備えています。実際、王は何もしなくてもいいのです。ただ、周囲にどのようなものがつくかによって全てが決まってしまいます。ただし、これは安定期の王侯社会の話しであって、安定的社会はむしろ稀ではないでしょうか。通常は王が主体的に何かをすることも必要な時代であることの方が多いでしょう。これはのどかな時代の話しです。一般的には、王たるものは何もしてないようにみえても、様々な精神的・身体的活動をしているものです。したがって、やがて王になるこの青年は、やはり著しく主体性を欠いているといわざるを得ず、このようなタイプの王がやっていける時代は、静止した幸せな時代だけであり、こういった時代にふさわしい主体のありようであろうと思われるのです。
 ただこの幸せな静止した世界には、怪物が城を構えていたりするのです。この怪物は静止した社会だからこそ、それにふさわしい存在であろうと思われます。ただし猫の知恵によって、いともたやすく、退治して、城と領地を乗っ取りに成功し、領民は解放され、領地を正常化させることができたのでした。このように、理想的普遍的牧歌的な国民国家が建設されたのでした。
 このおとぎ話では、このような理想的社会が描かれました。