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2015年3月29日日曜日

モリエール 『女房学校』 1662年発表





女房学校ECOLE DES FEMMES 1662年発表

 主人公はアルノルフという42歳の男です。彼は貴族の流れでしょうか。彼は知的であり、友人から哲学者philosophとも呼ばれ、聡明tant de lumiereとも評されるのですが、こと妻femmeのこととなると、愚かさを露呈してしまい、病気maladeであるとも言われます。彼には賢明で人に対しても親切な側面とそうではない側面、つまり妻に対しては猜疑心が強く、嫉妬深く、支配的で、強迫観念に支配されています。このふたの側面の後者に関して、世間は彼を変人のように見なしています。

 この作品は、前作の『亭主学校ECOLE DES MARIS』の次の作品であり、対をなしているようにも見えます。テーマも似たようなものです。つまり、妻の不義と夫の嫉妬・不名誉がテーマになっています。

 アルノルフは、世の夫どもをバカにしてきました。妻たちがいかに不貞をはたらき、夫どもが名誉を失って怒ったり、逆に見て見ぬふりをしていたりしているのを嘲りつつ笑ってきたのでした。そして、いざ自分のこととなると、そのようにならないように人一倍気を付けてきたのです。そして、そうならないために10数年計画し準備してきたことがありました。つまり、貧しい農民の小娘を養女として引き取り、その子を修道院に入れて、純粋無垢で恋愛や性に関して完全に無知のままに育て、その子が成長して婚期に達したら、アルノルフが自分の妻にしようと目論んでいたのです。その女性の名はアニエスです。彼は彼女を修道院から出させて自分の家に囲い、いよいよ結婚しようとしていたのです。アニエスは「
子供は耳から生まれる」と話し、それをアルノルフが聞くに及んで、性についての無知ぶりに彼は大喜びでした。これで成功間違いなし、妻が不貞をはたらくことはない、と。彼は今後もアニエスを軟禁状態にするつもりでした。

 前作の『亭主学校』では、男は、妻にしようとした女を不貞を働かないように軟禁状態にしていましたが、この女が並外れた才女であったために、策略を張り巡らせて、この男を恋のメッセンジャーに仕立てて、男の意図を見事にくじいて、失墜させてしまい、他の男と結婚してしまったのでした。この作品『女房学校』では、そのようなことにならないために、主人公アルノルフはより一層用心深くなっています。女を子供の頃から自分の意図通りに馬鹿stupidに育てて、性についても無知にしていて、策を弄するような才も持たないようにしました。これは一種のピグマリオンとも言えるかもしれません。このように準備万端整えて、対策を講じて妻にめとろうとしていたのです。モリエールは前作の『亭主学校』での男の大失敗を踏まえて、この『女房学校』では作者は主人公
アルノルフには用心に用心を重ねさせているのです。それがおもしろおかしい点です。
 しかし、この馬鹿なstupid女に、とてつもなく振り回され、前作以上の大失敗をしでかして、笑いものになるのです。

 アルノルフは10数年も準備をしていながら、たった10日間自宅を留守にしていただけで、純真なアニエスに何と虫がついていたのです。若くてハンサムな男が自宅に出入りしていたのです。彼はそれを知って驚愕して不安のどん底に突き落とされます。

第2幕

 アルノルフの苦しみは一体どこから来るのでしょうか。アニエスはそれが全然理解できません。アルノフルの苦しみは、名誉が損なわれること、つまり恥、嫉妬などからのようです。そしてアルノルフはアニエスに罪PECHEを教え込もうとしますが、アニエスはそれが理解できません。


第3幕

 アルノルフの内面はゆううつと不安と孤独があり、外に対しては恐怖と強制によって対します。また妻として夫への従順と敬意(OBEISSANCE, HUMIITE)を求めます。しかし、アルノルフはアニエスに不名誉と嫉妬心という弱みを握られているのです。 


第4幕

 どうやら彼女は恋愛と同様に嫉妬についても教えてもらったことがなかったので、無知INNOCENTEのままでした。しかし、今や彼女は愛の方を先に知ったのです。でも今もって嫉妬心については無知でした。このアンバランスが結構重要ではないかとも思われます。つまり、恋愛と嫉妬心は別物であり得る、という考え方が背景にあるのです。往々にして恋愛と嫉妬心は同一物の裏表のように見なされがちなのですが、別物である可能性もあるのです。アルノルフにおいては、同一物の裏表のようになっているのです。ただ彼の場合には、この同一物は、劇の最後に、笑いものにされ、否定され、虚仮威しにされ、彼はしっぽを巻いて逃げ出してしまいます。彼の熱はすっかり冷めてしまったようです。

 アルノルフのアニエスへの思慕は、あたかも、他の男を恋するアニエスにたいする思慕のようです。欲望DESIRはいよいよ高まってくるとアルノルフは語ります。アニエスはアルノルフが自分のために創った女でしたが、その女が他の男に恋することによって、ついにピグマリオンは理想的に完成されたのです。他の男に恋する女こそが、アルノルフの恋慕と欲望を死ぬほどにかき立てるのです。そのようなアニエスはアルノルフの鏡像のようなものです。

第5幕

 そして、どうやら、この女性アニエスは、必ずしも一夫一婦主義者ではなさそうなのです。この点も重要です。アニエスは恋愛や性や嫉妬について何も教えられていないのですが、一夫一婦制についても教えられていないようなのです。アニエスは自然から生まれてきたようなものです。でもアルノルフは徹底的に一夫一婦制にこだわっています。アルノルフはアニエスに断念させることだけを求めようとします。この不一致によってアニエスは引き裂かれているのです。アニエスはアルノルフを愛してないこともないのです。それどころか、アルノルフとアニエスはこんなにも接近して(演出ではとても親密な身体接触が多いです)、情熱的な愛の言葉を散々に言い募っているのですから、アルノルフの振る舞い方一つによってアニエスを物に出来た可能性が高いのです。それを逃したのも、アルノルフが真面目な一夫一婦主義者であり、女性の貞節を求める一方のガチガチの強迫観念が先行していたからです。一夫一婦主義者ではないアニエスには二人の男を同時に愛する障壁などほとんど無かったとも考えられるのです。そんなことは全くの想定外だったのです。