分野別リンク

2015年8月30日日曜日

ラブレー 『パンタグリュエル』



ラブレー『パンタグリュエル』
Horribles et épouvantables Faits et Prouesses du très renommé Pantagruel


1532年頃に出版

-------------------------------------------------------

作者の前口上
 一回読んだだけではどのようにこの前口上を考えたらいいのか、それをどう評価したらいいのか、どのような意義があるのか、判然とはしません。一読しただけでは、M.バフチンの発想が、ピンときません。

-------------------------------------------------------

父親の『ガルガンチュワ物語』よりは2,3年早く、『パンタグリュエル物語』が書かれたのですが、やはり前者よりも後者の方が、まとまりがよくないように思われます。『ガルガンチュワ』のほうが、小説を書くのに上達しているのではないでしょうか。なぜ父親のガルガンチュワよりも息子のパンタグリュエルの方を先に書いたのでしょうか。




-------------------------------------------------------




 この著作のなかでの作者は「アルコフリバス」という名前であり、「私」というふうにして作中に登場してきます。本当の作者はF・ラブレーです。
 この作品では、パンタグリュエルが主人公ですが、父親であるガルガンチュワは少し出てくるだけです。ガルガンチュワは『ガルガンチュワ』物語の主人公でした。
この本ではまずはパンタグリュエルの誕生から物語が説き起こされます。パンタグリュエルは父親ガルガンチュワと同様に巨人族の系譜に属します。ガルガンチュワが440+44歳の時にパンタグリュエルが誕生しました。この年齢は、400+4×20+40+4であり、4つまりquatreが並んでいます。Quatre cents+quatre vingt+quarant+quatre.というふうです。なぜ4なのでしょうか。フランス語では80という数字を言おうとするといちいち4×20というふうにして計算しないといけない不条理を茶化しているのでしょうか。
 ガルガンチュワが誕生したときにも大変な難産でしたが、あっけないほどに耳から誕生するという奇想天外な方法で産まれ出ました。これはイエスが耳から受精して耳から産まれたという民間伝承の影響を受けています。しかしパンタグリュエルの誕生の時の難産は、パンタグリュエルがあまりに巨体であったために、母体が耐えられずに、母親は亡くなってしまうという悲劇に見舞われたのでした。この年は世界中が異常な大干ばつの年であり、世界はからからに乾ききって多くの人が亡くなった年でもありましたが、そんな時期とパンタグリュエルの誕生は重なっています。Pantaとはギリシア語で「万物」を表し、Gruelはムーア語で「喉が渇いた」を意味していて、この二つを組み合わせてパンタグリュエルと命名したのです。この世の巨大な悲劇を背負ってこの世に誕生してきたという印象があります。
 父親のガルガンチュワは最愛の妻を亡くした無限の悲嘆と息子が生まれた無限の喜びが入り交じり、泣いたり笑ったり、感情をどうしたらいいかわからず、途方に暮れてしまいました。




 幼少期のパンタグリュエルは、まだ言葉がしゃべれる前から、やはり猛烈な大食漢でした。この幼児は、雌牛の後ろ足に噛みついて食いちぎり飲み込んだり、父親が飼っていた熊を丸呑みしたりしました。このようなことをさせないために、揺りかごに鎖で縛り付けていても、結局それも自ら破壊してしまいました。




 彼は成長して、まだ少年のうちに、各地の大学を渡り歩いて勉学をおさめました。しかし、どうも真の意味では大きな成果を上げていなかったような印象もあります。
 その後、オルレアンでたっぷりと勉強して、パリにやってきます。父親ガルガンチュワからは、パリでしっかりと勉強をするようにという手紙を受け取り、パンタグリュエルは熱心に勉強に励み大きな成果を上げました。
 あるとき彼は裁判で大活躍をしました。二人の貴族、ペーズキュとユヌヴェヌの民事裁判が膠着状態にあったのですが、パンタグリュエルが裁判官のようにして裁いたのでした。双方に相手方に物品を拠出するような判決でしたが、双方ともいたく満足をして退廷したのでした。この名裁判、ソロモンの裁き、日本で言うところの大岡裁き、はパリで大評判になり、パンタグリュエルの名声を高めました。
 さて、パニュルジュという主要登場人物が現れます。彼はパンタグリュエルの家臣です。この人物は『ガルガンチュワ物語』には登場しませんが、『第三之書』ではクローズアップされる人物です。つまり、『第三之書』では、寝取られ亭主Cocuにならないために、議論を繰り広げたり、これに関する答えを求めて各地の知者を訪ねてまわったりします。これはモリエールの『強制結婚』などとも近いところがあるとも思われますが、次に読んでみたいと思います。
 このパニュルジュは奇妙な人物であり、これから、いくつかの逸話が連ねられています。
 彼はトルコで、焼き肉として食用に供されるために、串刺しにされてグリルされていましたが、うまく逃げおおせました。その際に街に火を放って焼き尽くしています。
 また、彼は、お金を手に入れる方法をよく知っているのですが、それ以上に出費の方法を3倍以上も知っているために、たいていいつもお金を持ち合わせていません。これについてもいくつかの逸話が挙げられています。
 次に彼についての大きな逸話があります。トーマストというイギリスの大学者との公開討論が催されました。本来はトーマストはパンタグリュエルにこの討論を挑んだのですが、パニュルジュが代理として受けて立ったのです。この討論は言葉による討論ではなく、身振り手振りによるものであり、言葉を発してはならないという決まりの下で行われました。討論が始まって、お互い実にけったいな身振り手振りをしていましたが、闊達なパニュルジュの身振り手振りには大きな意味があるらしく、しだいにトーマストの劣勢は明らかになってゆきます。たまらずトーマストは蒼白になり、オシッコとウンチを漏らしてしまい、多くの観衆に悪臭をぶちまけてしまいました。それでも彼は討論を続けましたが、とうとうトーマスは降参し、口を開き言葉を発し、パニュルジュを讃えました。これで討論はパニュルジュの勝利におわりました。その後、トーマストもふくめて皆で飲みに行きました。パニュルジュはこの勝利のために、パリで大評判になりました。
 パニュルジュはそれに気をよくしたこともあって、ある美しい貴婦人(つまり人妻です)に言い寄ります。彼はこの貴婦人に単刀直入に「我が種を受け取って下さい」と申し入れをしたところ、強烈な肘鉄をいただくことになりました。それでも彼は貴婦人の美しさを讃えて、諦めませんでした。貴婦人が教会の入り口のところにいれば、馴れ馴れしく跪き、この恋のために僕はウンチもオシッコも止まってしまいました、心の内を訴えかけます。あれやこれやと手練手管を繰り出していたのですが、貴婦人の気持ちは全然動かず、結局は、彼はこの貴婦人を大金で釣ろうとします。これについては、さすがの貴婦人もうっとりしてしまったのですが、結局思うようにならなかったというか、パニュルジュが嫌気がさしたのか、遂に彼は切れてしまいます。貴婦人に「お前など犬と交尾することになるぞ」と暴言を吐くと、貴婦人に怒られる前に一目散に逃げたのでした。彼は小さい頃から叱られながら成長したので、本能的にすぐ逃げるのです。翌日、聖体の祝日に、貴婦人が教会で祈っている最中に、彼は一篇のロンドを彼女に手渡し捧げました。夫人がそこに何が書かれているのかを読んでみると、迷惑を掛けないから、最後に一発やりましょうという旨が書かれていました。それとともにパニュルジュは、あらかじめ用意していた雌犬の子宮のみじん切りに細工を施した物質を貴婦人の衣装に振りまきました。そうするとパリ市内の60万匹の雄犬がやってきて、取り巻き大興奮状態で、クンクン嗅いで、オシッコを大量に振りかけるのでした。雌犬のフェロモンのようなものが雄犬たちを呼び寄せたのです。パニュルジュはこの悪戯が大成功だったので、大喜びでした。そして主人のパンタグリュエルを呼んできて、それを見物させました。パンタグリュエルは「見事な新作だ」といって大満足でした。この貴婦人はパリ中の笑いものになり、また逃げ帰った自分の家の小間使い全員からも大笑いされました。


23
パンタグリュエルはパリを発ち、祖国に戻ります。というのも、アナルル王が侵略してきて、祖国であるユートピア国が攻撃されからです。パンタグリュエルは海路でユートピア国へと入りましたが、港についてまもなく敵兵600名に攻撃されます。しかしパニュルジュの計略で、あっという間に焼き殺して全滅させました。これはいわば前哨戦です。敵は100万近い大軍が控えています。
このとき一人だけ捕虜にとったのですが、彼にむけたパンタグリュエルの言葉を引用しますと次のようです。「いいか、私の目的は、人々を略奪したり、身代金を奪ったりすることではなく、人々を豊かにして、完全な自由の状態に直すことにあるのだ。P310





 次に、またパニュルジュの計略により、敵王以下、将兵に薬を盛って、下々の兵に至るまで口渇のためにワインをがぶ飲みさせて、ぐでんぐでんに酔っ払わせて眠らせました。パンタグリュエルは公平を期してか自分たちも大酒をあおって、次の日には敵軍の寝込みを襲いました。パニュルジュはさらなる謀(はかりごと)をして、パンタグリュエルに密かに利尿剤をのませていましたので、そのためパンタグリュエルは大放尿をして、敵勢のほとんどを溺死させました。
 その後、パンタグリュエルは敵軍の主力である、巨大棍棒を持った巨人の強敵ルーガルーと対決します。巨人同士の雄大な戦いでした。パンタグリュエルが圧倒的に勝利しました。続いて彼はルーガルーの巨大な死体を振り回して、その他の巨人族を全滅させました。
 味方に戦死者がありました。エピステモンという名の家臣です。彼は首が切断され、首を抱えた状態で倒れているのが発見されました。パニュルジュは、外科的な処置を施して、首を胴体に接合して、蘇生させることに成功しました。目を覚ましたエピステモンによれば、一回死んだので、地獄に行ってきたとのこと。彼は地獄の光景を目撃してきたのですが、それによれば悪魔はそんなに悪いやつじゃなかった、地獄に落ちた歴史上名だたる人々は、いろいろな職人だの料理人などとして仕事をする運命を与えられて、なんだか喜劇的なことになっていたのでした。当時最も嫌われるとされていた金貸し連中は、生前はたいして働かずに暴利をむさぼっていたので、地獄では、逆に猛烈に働いて極めて僅かな給金を貰えるという責め苦をうけていました。しかし、彼らは全員、あまりに仕事が忙しすぎて、苦痛を感じる暇がないようだったというのです。思うに、地獄だからといって恐怖と苦しみが猖獗を極めているわけでなく、就労を強いられて必死でそれに取り組んでいて、苦痛さえ感じないという、おおらかな地獄絵図となっているというのは、誠に特徴的であり、特筆に値すると思われます。
 さて、パンタグリュエルは敵王であるアナルク王を捕虜にとっていましたが、パンタグリュエルは、身柄をパニュルジュに与え「好きにせい」と伝えました。パニュルジュは大歓迎で、これを楽しみの材料にしようと喜びます。彼はエピステモンが語った地獄の光景を思い出し、それをヒントに、アナルク王をグリーンソース売りに仕立てました。そしてパンタグリュエルたちの前で、アナルク王にグリーンソース売りの呼び声を高らかにあげさせて、皆を喜ばせました。それ以来、アナルク王は生涯、グリーンソース売りの仕事に専念しました。また年のいった女を妻として与えられ、生涯妻の尻に敷かれて過ごしたのでした。
 パンタグリュエルは、ディプソード王国全体を掌握すべく進軍することにしました。ディプソードで志願兵を募集したところ、180万人も集まりました。作者「アルコフリバス」が再び登場しますが、彼は、しばらくパンタグリュエルの口の中に潜伏していて、パンタグリュエルもそれに気がつきませんでした。彼はパンタグリュエルの口から出てききて、パンタグリュエルと会話します。彼が出てきたときには、いつの間にかパンタグリュエルは戦争に勝利していました。パンタグリュエルはどうやって生活していたのかと尋ねると、アルコフリバスはパンタグリュエルが飲み食いしたものを「通行税」として頂き、オシッコもウンチもパンタグリュエルの口の中でしていました。これはパンタグリュエルを笑わせました。
 この「第二の書」の締めくくりとして「パンタグリュエル主義Pantagruelism」が提起されます。引用しますと「みなさんが、よきパンタグリュエル主義者になりたいならば、つまりは、平和に、楽しく、健康に、そしていつも愉快にごちそうをもりもり食べたいとおっしゃるならば、穴ぼこからのぞき見している連中(修道士連中のこと)などは、絶対に信用してはいけないのでありまする。P383