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2016年1月20日水曜日

『シラノ・ド・ベルジュラック』 エドモン・ウジェーヌ・アレクシ・ロスタン原作 コメディー・フランセーズ



 前半の喜劇 この前半は、très sympaという言葉にふさわしいです。Sympaとは、辞書的な意味では、感じのいい、楽しい、いかす、です。この言葉が当てはまるのは前半であって後半ではありません。前半は愉しいシチュエーションです。ドアのむこうがわでパーティをしているのですが、その歌声がドアを開けたときだけにきこえるというのも愉しい思いつきです。雰囲気も楽しみました。
 後半の悲劇はsympaではありません。暗くなって、悲劇のうちに終わってしまいます。



 シラノは善き人です。シラノは、外にたいしても内にたいしても、信義を曲げません。シラノは手紙の代筆をしました。しかしこれは一種の違反行為です。しかも彼はそれに熱中しすぎてしまいます。クリスチャンはこの違反行為の結果生じたことを知るに及んで大変なショックを受けて嘆き悲しみます。それまでクリスチャンがうすうす勘づいていたことが現実のものとなったことが明らかになります。クリスチャンは、無念の思いで死んでしまいます。シラノが毎日2回ずつも手紙を書きましたが、それを読んだロクサンヌが、クリスチャンの魂を愛するようになったとクリスチャンに話しました。このことを知った直後に、クリスチャンが死にましたから、死の原因は、たまたま運悪く敵の銃弾がクリスチャンに命中したからではなくて、この真実を知ってしまったからです。



 それではなぜシラノは死んでしまったのでしょうか。物語を劇的、つまり悲劇的にするためでしょうか。それもあるでしょう。しかし、シラノが物語の中で死ななければならなかったのは、自ら行った違反行為によるものではなかったでしょうか。そしてまた、彼は命を賭しても信義を曲げないために、恨みを買うことが多く、そのために死んだのです。彼は二重の責め苦を負わせら死んでしまったのだとおもわれます。

 死によってシラノの信義は一貫性を保つことが出来たのでしょう。彼はのうのうと生きながらえることができなかったでしょう。


 シラノ役は生き生きとしています。はまり役の1人でしょう。