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2016年3月25日金曜日

ダンテ 『新生』


ダンテ・アリギエーリ

『新生』VITA NUOVA

 1293年の作品。

 この著作の中で語られている場所はフィレンツェです。

 ベアトリーチは1266年に生まれ1290年(24歳)に早世しました。ダンテによれば9歳の頃に初めてベアトリーチェを見て恋心を抱き、9年後つまり18歳の頃にベアトリーチェに再会し恋心を燃え上がらせます。ダンテは「9」という数字に特別なこだわりを持っていました。この作品はベアトリーチェが夭折(1290年ダンテ24歳)した3年後の1292年から1293年にかけて編まれたものです(つまりダンテは28、29歳頃)。ダンテの『神曲』にもベアトリーチェが登場しますので、この『新生』はその前段階の作品として位置付けることもできます。
 この著作には、ダンテが作った、ベアトリーチェを想う詩(ソネット)を何編か掲載し、著者自らが解説し、その詩を書くに至った経緯や心境を回想しつつ語ります。また当時見た夢も象徴的な意味を含むもとして書き記されているのも特徴です。この詩は発生した出来事の時間系列で順に並べられているようです。
 感覚器官には霊魂が宿っているとする考え方があり、また考え方や詩を擬人化して呼びかけます。

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3まで

 ダンテはベアトリーチェのことを「あえかなる君」「あえかの君」「私の至福」「マドンナ(高貴な女性に対する呼びかけ)」「いとも妙なる女性」「奇跡的な美しさ」などと言い表します。

 ダンテは9歳にベアトリーチェに初めて出会い、その9年後に彼女に再会をしました。再会した日に見た夢では、「愛の神」であるアモール(「主の君」とも呼びます)がダンテの燃え盛る心臓をベアトリーチェに食べさせ、アモールは涙を流し、やがて彼女とともに天に昇っていったのでした。その時ベアトリーチェは裸のうえに紅(くれない)の薄い衣だけを羽織っていました。この夢はダンテのベアトリーチェへの愛とベアトリーチェが早世した悲しみを表しています。ここでは夢がベアトリーチェの死という運命を予言しているのだとされています。

4
 ダンテはベアトリーチェへに対する自分の本心を隠し続けました。そして本心を隠すという意味で「隠れ蓑」、「守り札」などと彼が呼ぶ女性たちがいて、彼女たちについて書いているかのようにして、詩を作っていました。
 あるときダンテの会釈にベアトリーチェが応えなかったことに、彼はひどくショックを受け、それをきっかけにまた一つの夢を見ました。その夢の中で、アモールが現れ、ベアトリーチェへの愛を明らかにするべきだと話します。そこでダンテは、ベアトリーチェへの詩を書きました(8,9,10番目のソネットか)。しかし、これをベアトリーチェやその他の人に見せるわけではありません。
 またある時にはダンテは、ベアトリーチェの前で、動転して無様に狼狽してしまい、ベアトリーチェがその周囲の女性たちと一緒になってダンテのことを笑ったのでした。こんなことにもダンテはひどい痛手を受けました。これも上ソネットの中に盛り込まれます。
 しかし、やがてベアトリーチェの前で動転するダンテの様子を見た彼女の周囲の女性たちはダンテがベアトリーチェに恋をしていることに勘づくようになりました。彼女たちに、ダンテは、自分の恋の目的は「あえかの君」から会釈してもらうことであると答えました。また、あの方は我が詩の言葉の中にいらっしゃるとも話しますp81。ダンテにとってベアトリーチェと交わす挨拶は重要でした。ダンテとベアトリーチェは初めて会った時からベアトリーチェが死ぬまで、会話をほとんど交わしたことがなかったか、もしかして皆無だったかもしれませんし、交流は挨拶だけだったのです。

22
 1289年12月31日にベアトリーチェの父親が他界しました。善良なる娘は善良なる父親の死をひどく嘆き悲しむもだとダンテは話します。そもそもダンテは彼女の善なるところから恋心を抱いたのでした。ダンテは父親を亡くした彼女と直接に会うことはできませんでしたが、彼女と会った女性たちの悲しみの様子を見ることを通じて、ベアトリーチェの計り知れないほどの心痛を察しました。そしてダンテは涙をはらはらと流しました。この女性たちのやりとりを詩にしました。
 しかし、たった半年後の1290年にベアトリーチェは早世することになります。

23
 彼女の父親が亡くなって間もない頃に、ダンテはこのベアトリーチェの死を予言する夢のような幻視のようなものを見ます。女たちが怖い顔をしてダンテの前に現れ、ダンテに「お前もまた死ぬであろう」とか「お前は死んだ」と声をかけ、そして女たちは悲しみの涙を流し、飛ぶ鳥は死んで地に向けて落ち、地震が起きました。夢の中で友人の一人が「では知らないのか?奇跡のあえかなる君がこの世を去ったことを」と教えてくれました。彼はベアトリーチェの亡骸を見ました。顔には白い布が覆っていました。彼は、死神がベアトリーチェに触れて、そのために死の女神の心性が高まるであろうと思い、死の女神に声をかけて、自分も連れて行ってほしいと頼みました。父親が死んでまもなくであり、まさかベアトリーチェが死ぬ気配もない時期に、この夢はベアトリーチェの死を生々しく予言していました。彼はこの体験をもとに詩を書きました。

24
 ダンテは、第一の友人(この著作『新生』はこの友人グイド・カヴァルカンティに向けて書かれたというp156)が恋している「プリーマヴェーラ(春の女神)」と呼ばれる女性とともにいる、ベアトリーチェを見かけました。その時「愛の神」が囁くのを聞いたような気がしました。つまり、ベアトリーチェの心と「愛の神」は多くの共通性を有していて、そっくりであるという囁きが聞こえました。

26
 ベアトリーチェは大変美しく優雅で素晴らしかったので、世の男性たちはみな彼女を賞賛しました。彼女は人々に笑顔で挨拶をします。そのことを詩にしました。

28
 1290年6月にベアトリーチェは夭折しました。彼女は世を去り天国に昇り、彼女が生前深く敬ってた聖母マリアのもとで栄光と至福を授けられました、とダンテは考えました。

29
 ベアトリーチェは「9という数字と友であった」と話します。この9の根は3であり、3掛ける3は9です。この3という数字は、父と子と聖霊という三位一体を表しているから、3及び9は大切な数字なのです。

36〜39
 彼女が亡くなって1年以上経ったある日、ダンテが悲しい思いに沈んでいる時に、窓辺から一人の若く美しい貴婦人(「窓辺の貴婦人」)が彼を見つめているのに気がつきました。この貴婦人はベアトリーチェを思い出させるような人でした。彼は彼女を見ることに喜びを覚えるようになりました。そのため彼は、この「目の罰当たりめ」、目の楽しみなどいけないことだ、と自らを戒めました。でもこの「窓辺の貴婦人」の面影が頭を離れません。やがてダンテは、これは愛の神のご意向だと解釈するようになりました。しかし、そう解釈すると、この解釈は卑しいやり方で自分を慰めているということではないか、と自責の念が新たに芽生え、ダンテの中で二人のダンテが葛藤するのでした。
 第9時ごろまた幻覚が現れ、その中でベアトリーチェが、彼が初めて見た時のように、紅(くれない)の衣装を身にまとっていました。それからダンテはずっと泣きくれて目を腫らし、ベアトリーチェのことだけを考えて、溜息ばかりをつき、「窓辺の貴婦人」を見ることができなくなりました。
 その後、巡礼者を見かけて、それがきっかけとなって一つの詩を作り、ある女性二人に求められて詩を作りました。これがこの著作の最後の詩です。

42
 ダンテは、天国と煉獄と地獄の不思議な幻視的ヴィジョンを見たのをきっかけに、あの方にふさわしくもっと品位のある筆致で詩が書けるようになるまでは、詩を書く筆を置くべきだと決意しました。これは『神曲』にもつながっているのでしょう。
 あの方の栄光を見に行くことができますように、と合掌してこの著作は終わります。

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  ベアトリーチェが、ダンテにとって、ひとつの奇跡の存在だったというのは、どういうことなのでしょうか、そしてまたこれは何に依るのでしょうか。ベアトリーチェの徳のゆえにダンテは彼女に恋をしたという側面は大変重要に違いありません。
  ベアトリーチェは人々に優雅に挨拶をする方でした。ダンテは「私は挨拶を欲しているだけだ」と挨拶にこだわります。ベアトリーチェとは挨拶を交わすだけの関係でした。挨拶とは会釈のようなものだろうとも思われます。Saluteは挨拶、会釈であるとともに、救済の意味もあるかもしれないようです。
 9という数字はイタリア語でnove.これは「新しい」という語感があるようです。つまりこの著作のタイトルでもある『新生』とも関わっています。もっとも、もしかして、この著作の冒頭に書かれている通り、本当に9歳の時に彼女と初めて出会い、18歳にして再会したという不思議な符号があって、そのためにダンテが9という数字に非常にこだわるようになったという可能性もあります。
 この「新しい」あるいは「新生」はベアトリーチェがこの世で生を受けたことが新生であるとともに、あの世で新しい生を受けることでもあります。また、ダンテがベアトリーチェに出会って新たに目覚めたであり、そして天国でベアトリーチェの元で新たに生まれることを意味していると思われます。
 聖母マリアや9を三位一体に関連付けて、キリスト教との融合が見られます。

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 この著作を読んでいるとダンテには心のゆとり、そして時間のゆとりまでもあるように思われます。日々、愛に生きる生活をしているかのようです。内面的には、大変にゆっくり、ゆったりと、ゆとりの時間を持っていたとともに、とても有意義な時間を過ごしていたと思われます。時間の流れの質が大切なのでしょう。こういったゆとりの中で ダンテはたった2冊で文学史に残る偉大な著述家と評されるほどにまでなりました。芸術とはゆとりとも関係しているらしいことは古くから言われた。

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 ダンテの体験の生々しさは、ベアトリーチェの父親が死んだ時に、彼女が死んでしまう予感がして、ダンテが幻覚のような夢を見るなどして、不穏な状態になる時期です。むしろベアトリーチェが死んだ後は、生々しさが減じているように思われます。死んでしまった後は、別の婦人に恋心を抱いたり、このことに罪悪感を強くしたりするとともに、詩を作る内面の切迫感も失い、やがてペンを置いて、この著作も終えるのでした。そして、作品作りということが主要目的になっていく傾向が生じてしまうのではないでしょうか。そのような傾向にダンテは納得できないでしょうから、過去を振り返る形式をとり、そして筆を置くのだと思われます。そして、ベアトリーチェに向かう未来志向的な道は、別の著作『神曲』の中で描かれます。

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 父親の死は何かしら、重要な転換点になったようです。そしてダンテ自身が父親との関係がいったいどのようなものだったのでしょうか。12歳の時からダンテは父親が決めた女性と結婚することが決められていました。実際に1295年にダンテはその女性と結婚をして、のちに4人の子供をもうけました。つまりダンテが結婚したのは、『新生』を書き終えた次の年でした。その時ダンテにはどのような思いがったのでしょうか。『新生』で一つの区切りをつけて結婚をしたのでしょうか。

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この著作では、夢(あるいは夢のような幻視、白昼夢とも呼ばれるかもしれません)の内容が描かれている点もこの著作で特徴的です。

 ベアトリーチェの周囲を取り巻く女性たちは、ある時には優しく、ある時には怖い顔をしている(夢や幻覚の中では)。また愛の神アモーレも、朗らかであったり、悲しそうな表情であったり、また怖い形相をしていたりした。これは天国、煉獄、地獄とも対応しているのであろうか。『神曲』も夢の中の世界のような物語です。 

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 ベアトリーチェは結婚していて、銀行家シモーネ・デ・バルティの妻でした。この著作ではそのことには特には触れられていなくて、人妻であるかどうかはまるで問題になっていないか、まるで独身であるかのような。またバアトリーチェが亡くなった悲しみにくれるダンテを見つめていたある婦人(窓辺の貴婦人)にダンテは恋心を抱くが、この女性も既婚者であろうと思われます。

 この辺りには南仏の宮廷風恋愛の影響もあるのでしょうか。ダンテは『神曲』のなかで南仏の詩人アルナウトの詩を引用しているらしいです。『宮廷恋愛の技法』では、宮廷恋愛の系譜にダンテも入れているようです。