ダンテ 『神曲 天国篇』第1歌
「煉獄篇」では、そもそもウェルギリウスというキリスト教徒ではない異教徒がダンテの導き手でもあったのは特徴的ですが、この天国編では、冒頭はキリスト教的な天国に向かうのにギリシア神話のアポロンを讃えます。ダンテの時代からすでに古典古代が注目されていたことがここでもわかります。
このあとベアトリーチェが描かれます。ベアトリーチェは太陽をじっと見つめました。これは地上の世界では困難な行為です。ダンテはベアトリーチェに倣って、やはり太陽をじっと見つめましたが、同様に可能でした。ここはそういうことが可能な場所のようなのです。プラトンの太陽の比喩のように最初は太陽を見ると目がくらむのですが、ある種のプロセスを経た暁には太陽を直視することができるわけです。
そしてダンテはベアトリーチェの顔を見ました。動揺するダンテに向かってベアトリーチェは、二人が天に向かって翔(か)け昇っていることを伝えました。ダンテは体が空中に浮いて上昇していたのです。彼女はダンテにそのことを言葉多く伝えて、また面(おもて)を天に向けました。
そしてダンテはベアトリーチェの顔を見ました。動揺するダンテに向かってベアトリーチェは、二人が天に向かって翔(か)け昇っていることを伝えました。ダンテは体が空中に浮いて上昇していたのです。彼女はダンテにそのことを言葉多く伝えて、また面(おもて)を天に向けました。
ダンテが『新生』で描いてましたが、彼はベアトリーチェのことで病気のようにもなり、幻覚を見るほどに苦しく悩みぬいてきましたが、ベアトリーチェは、ダンテに挨拶をしたりしなかったりというような程度の間柄であったのでした。それに対してこの「天国篇」ではベアトリーチェは言葉多くダンテに語りかけ、そして二人して天に昇るほど、極めて濃密で特別な関係性が形成されています。
なにかここには願望充足的な夢のようなところがあるようにもおもわれます。
『新生』においてはベアトリーチェは実在の人物でありながらもダンテの思慕が先行して、ほとんどベアトリーチェの実体がないようなくらいでしたが、ここではむしろベアトリーチェは実体化されているとも言えるのではないでしょうか。