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2016年7月17日日曜日

ダンテ『神曲 天国篇』第4歌

ダンテ『神曲 天国篇』第4歌



 ダンテによって幾つかの問いが立てられ、ベアトリーチェがそれに答えますが、まずはそのうち2つから。
 まずは第1の問。プラトンの説によれば、死んだあと魂は星に帰るというふうになっているが、天上における魂の占める位置について、その様相を説明してほしいという問いです。
 第2の問いは、他人の暴力によって功徳が減じるのは何故なのか、という問いです。
 この2つの問いについて、ベアトリーチェは答えます。

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 思うに、この二つについてのベアトリーチェの答えは、わかったようなわからないような、というより平たく言うと、わかりません。
 わかりにくい要因の一つとしては、劇画風なまでの具象的であるがゆえに、かえってわかりにくいのだと思われます。
 新プラトン主義と位置付けられもするプロティノスの抽象的議論の方が、まだわかりやすいように思われます。プロティノスにおいては、「第一者」、「知性(存在)」、「魂」というふうに3つの様相を呈しています。詳しくは該当のページにて。
 また、ここでダンテが持ち出したプラトンは、天上にも煉獄にも住んでおらず、地獄に留め置かれています。プラトンが異教であるというたった一つの、しかも不可避的な落ち度だけで地獄に落とされたままなのです。キリストは地獄を征服したときに、早々に旧約聖書に登場するアダム(イブではありません)をはじめとした面々を地獄から天国に引きあげたのに対して、プラトンなどの古代哲学者たちは全員、地獄からは救い上げられなかったのです。というのも彼らはギリシアの地に生まれた異教であるがゆえに罪ありとされたからです。もっともその罪は悪意がないがゆえに、地獄の辺土(リンボ)にとどめおかれています。彼ら哲学者たちは、悪鬼などに責め立てられることはないものの、格別存在感を発揮せずに、そこはかとなく生きつづけているのです。まるで骨に抜きになって生殺しにされているかのように。どうやら彼らはあまり哲学さえしていないのではないか、という雰囲気です。異教の思想は、推奨されていないのでしょう。