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2016年8月31日水曜日

ダンテ『神曲 地獄篇』第18歌 - 29歌



ダンテ『神曲 地獄篇』第18歌


ボッティチェリ



 第8圏にやってきました。この圏の底は悪の袋という意味の「マルボルジュ」という名で呼ばれる10の谷(巣窟)にわかれ、それぞれが人々で埋め尽くされていました。悪鬼がすさまじく鞭打っています。
 第1巣窟は金と権力の獲得のために女を利用したり、女の愛情につけこんだあげくにあだで返したりした男たちです。そのうちの一人の男が、ダンテに気が付き、顔を伏せましたが、少し遅すぎて、ダンテに見つかります。彼はボローニャのカッチェネミーコという男でした。彼は自分の勢力拡大のために、妹を無理やり公爵の情婦にしました。またギリシア神話の英雄イアソンもいました。彼は一人の女を誘拐して捨てたのでした。


第2巣窟は甘言の罪の男たち。そして娼婦たち。彼らは糞尿の中に漬けらていました。魂をむしばむような誘惑の甘い言葉はいまや糞尿となって、そのなかに彼らは漬け込まれています。このように、ここでもまた悲喜劇的な描写もなされています。



第19歌


第3巣窟にて。ここは聖職売買者(聖職売買とはシモニアと一般に呼ばれます)の巣窟です。そこでダンテは教皇ニコラウス3世(在位1277-80)を見つけます。この教皇はダンテが思春期前期あたりの在位です。彼らは地面の穴に頭から突っ込まれていて、ふくらはぎは出ています。さらに火であぶられています。この教皇はダンテを教皇ボニファティウス8世(在位1294-1303)と勘違いをして話しかけてきました。ボニファティウス8世が死んで地獄に落とされるのが予定よりも数年早くて、驚いています。逆さにされて穴に突っ込まれているので、はっきり見えなかったのです。
 彼の頭の下には大勢の先輩たちが押し込まれています。今後も順番にそこに押し込められるのです。またクレメンス5世(アヴィニョンの最初の教皇在位:1305年 - 1314年)もまた聖職売買の常習者であり、上述二人の教皇を上回る悪党とされています。かれもまたやってくるであろうと。

 ダンテがニコラウス3世などの教皇の貪欲を厳しく責め立てていますと、教皇の憤怒からか良心の呵責からか判然とはしませんが、突き出した両足が激しく空を蹴っていました。ウェルギリウスはダンテのこれらの責めの言葉を満足げに聞いて、両腕で彼を抱きました。
 このあたりもコミカルな描写となっています。

 ダンテの生没年は1265年 - 1321年ですので、これらの教皇はダンテの思春期から壮年期にかけて在任しました。ダンテと同時代の教皇たちです。ここでも教皇の腐敗が非難されています。
 イタリア内部での党派対立、神聖ローマ皇帝、フランス王、教皇の腐敗と凋落ぶりを告発することがこの『神曲』のテーマでもあります。
 また300年近く時代が下った1612年にマドリッドで『神曲』が異端として告発されました。この書が教皇を批判したからというよりは教会を攻撃したからだとのことです。もっともダンテは教皇位も教会も否定していないようですが。

 (ちなみにボニファティウス8世は前任の教皇を退位させ、のちに彼を殺害、また教皇庁の勢力を拡大し、フランスと結び、トスカーナにも権力を及ぼしましたが、フランスと対立し、「唯一にして聖なる」教皇は諸王に優越するとする教皇勅書を発し、フランス側に異端者として面罵されて退位を迫られ憤死しました。)

 教皇の悪徳ぶりについて、ダンテの非難は、滑稽さと皮肉も混じえつつ、激烈です。聖職者の最高位でありながら、彼らは地獄に落とされて、最悪の状態にさせられています。頭から穴に突っ込まれ転倒させられているのは、生前彼らの頭の中も転倒していたというようなことでしょう。そして次から次へと上から押し込まれて、穴の下にはわんさか同類が押し込まれているのです。そしてなおかつ地獄の業火であぶり焼き続けられます。
  ここには、教皇をはじめとする聖職者たちに対する猛烈な怒りがあります。ダンテは彼らを罵倒して、ウェルギリウスはそれを聞いて満足して、完全に同意します。



第20歌 預言者

 第4巣窟にて。
 ここの亡者の群れは魔術を使った罪により落とされた人々です。その魔術とは未来を予言するという魔術です。彼らは首を後ろに捻じ曲げられ、みな後ずさりしながら歩いています。ギリシア神話の預言者アンピアオラス、テレイシアスの姿などが見られました。テレイシアスはギリシア悲劇で名高いのですが、なぜ彼が地獄に落とされ、このような姿にさせられているのかわかりません。解説を読んでもわかりません。中世では予言は魔術の一つとされていたからだそうです。しかし、それよりも、もっと深い意味で予言にたいする意見があるのかもしれません。


 
第21歌 汚職者
 第5巣窟にて。
 ここではタール状の液体のなかで罪人たちが煮られています。悪鬼がルッカという都市の市政が汚職で蔓延していると仲間に話しながら、ルッカの有力者をひっぱてきて、また他の有力者を連れてくるために、ルッカに戻っていきます。彼らは職権乱用による不正取引や汚職により蓄財した者たちです。
 ダンテ自身が汚職の罪でフィレンツェを追放されました。またルッカは黒派の拠点だったようです。また悪鬼の名は黒派の有力者の名前らしいです。

第22歌
 ここも第5巣窟にて。
 悪鬼が逃げ遅れたカエルような男を池から熊手で救い上げます。彼は元の騎士でした。当時の騎士や騎兵は獰猛で、騎士道などとは無縁の人たちであり、しばしば略奪殺戮強姦をしました。彼らは獣のように残虐非道であり、フランス軍は特にそうであったともされます。もっとも神聖コーマ帝国のほうも、相当なもので、大分後の話ですが、ローマで暴力の限りを尽くしています(ローマの略奪)。ダンテは彼らに対して憎悪と軽蔑を込めています。
 ところで、すきを見たこの男は逃げてしまい、悪鬼たちの間で喧嘩が発生して、一匹の悪鬼が池の中に落ちてしまう。
 
第23歌 偽善者
 第6巣窟にて。
 先ほどの悪鬼たちが翼をひろげて追いかけてきて頭上まで迫りましたが、ウェルギリウスはダンテを抱きかかえて守り、何とかやり過ごしました。この辺りはとくに冒険小説的なところです。
 第6巣窟では偽善者たちが群れていて、鉛でできた重い外套を着せられています。二人の修道士、当時、安逸助修士とよばれたらしい人です。この修道士は騎士団修道会に属する修道士であり、イタリア各地での派閥抗争をなくして、各家庭に平和をもたらすことを目的としましたが、会規が甘くて、安逸修道会のあだ名がつけられました。
 またダンテらは教皇党のカタラーノ・デイ・マラヴォルティと皇帝等のロデリンゴ・デッリ・アンダロというふたりの騎士階級の人物と会いました。二人は党派の騒乱を防止する平和回復の目的で1266年にフィレンツェに入り政治の権限を与えられましたが、任務に失敗して、逃げ出しました。1268年には教皇党が実権を握りました。逃走した彼らを偽善者としています。

第24歌 盗賊
 第7巣窟
 盗賊たちは蛇のような奇怪な爬虫類どもの恐ろしい群れのなかに投げ込まれて、そのなかでおびえ切った裸の亡者たちはが走り回っています。彼らは後ろ手に縛られています。蛇にかまれると燃えて灰となり、やがて灰が集まってまた元の姿に戻ります。この亡者たちの中に黒派のヴァンニ・フッチがいます。ここでもやはり当時の政争の立役者の一人が登場です。彼は盗賊と見なされています。また彼は、白派の破滅も予言します。

第25歌 盗賊
 ここも第7巣窟です。
 ヴァンニ・フッチは指を卑猥な形にして天に向け、侮辱しました。蛇はすぐさま彼の首に巻き付きものが言えぬようにしました。彼は逃げましたが、ケンタウロスが後を追います。また黒派白派の人物たちも幾人か登場します。彼らは蛇と融合したり、姿を交換し合ったりしました。
 当時の騎士の時代では、騎士は欠乏するものを戦って奪っていました。フィレンツェなどで商業が発達すると、貿易、所有に基づくようになりました。騎士たちは王侯貴族の組織に組み入れられます。他方では盗賊を生業とする者もいました。

第26歌 偽りの忠告
第8巣窟
 ここでは、はかりごとをして他人を欺いた亡者たちが押し込められています。
 そのなかにオデュセウスとディオメデス(アキレスに次ぐギリシアの英雄)がいます。彼らは火で焼かれています。彼らは木馬の奇計を共謀したとされる罪です。
 オデュセウスまで地獄に落とされて地獄の業火で焼かれているのですね。
 
第27歌 偽りの忠告
 グイド・ダ・モンテフェルトロというイタリアの君主が現れます。彼は教皇と覇権を争いましたが、のちにフランチェスコ会に入信しアッシジの修道院で生涯を閉じました。彼もまた地獄に落とされました。なぜ彼は地獄に落とされたのか今一つよくわかりませんが、ボニファティウス8世の懐刀でもあったともされます。
 
第28歌 分裂扇動者
第9巣窟。
 ここでの最大の分裂扇動者はイスラムの創始者ムハンマド(マホメット570-632)です。中世の俗説では、ムハンマドはキリスト教会の教皇選に敗れて諦めきれずに、イスラム教を立ち上げて分裂させたという話がありました。ダンテの『神曲』もこの考えに与しているようです。ムハンマドは異教というよりは異端です。ムハンマドはキリスト教会を分裂させた罪により地獄に落とされたのです。ここでは地獄に落とされる理由の不条理さが特に際立っています。

 ボッカチオの『デカメロン』では「3つの指輪」にエピソードがあります。そこでは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教のうち、どれが正当であるのかという問いに対して、いまやどれが正当なのかよくわからないと答えます。『デカメロン』では、これはまことに賢明な答えと見なされています。それと比べて、私が思うに、ダンテは暗く硬い真面目さが突出しています。
 ムハンマドは悪鬼によって切り裂かれ、内臓は飛び出してぶら下がっています。これはダンテによって主催された異端審問で下された刑罰だということになります。ダンテの判決は、断定的であるだけでなく、愚かでさえもあります。
 一方的に決めつけて、意見の違いから何も学ぼうとしない、向上しない、それでも『天国篇』では天上に向かって浄化されていく、これはいったいどうしたことでしょうか?地獄では、横並びに様々な人物が登場しては消えていきます。彼らは切り捨てられているのでしょうか。たしかに極悪非道にして倒錯的な人間もいて、それはそれでよいかもしれません。しかし地獄ではからなずしもそんな人々ばかりではありません。地獄にいる人たちに対しては切り捨てられる人もいれば温情をかけられる人もいます。しかし総じて地獄のダンテは人々と出会いながらも、ダンテ自身が何ら向上も成長もないのではなかとおもわせるところが、地獄でもあります。そういった観点からしても、地獄とはダンテ自身の内面の地獄でもあろうかとさえも思われるのです。このムハンマドにたいする刑罰は、そういう思いを抱かされるものでした。端的に言って、誤りであると言えるでしょう。



第29歌 偽造者

 第10巣窟にて。
 ここでは錬金術師がいます。
 錬金術には、大きく分ければ二つのモチベーションがあって、一つは哲学的な知の探究や化学への興味関心によるものと、もう一つは黄金の偽造を意図するものです。もちろんその双方が混合していることもあろうかと思われます。地獄に落とされているのはこの二つ目の黄金の偽造者です。フィレンツェは製造や商業の都市であり、交換経済の公平性が基本にあります。ここで第5巣窟に落とされている略奪者は、古い騎士であり、戦って奪う輩であり、人に危害を加えるだけでなく、交換経済のシステムにもそぐわない者たちでした。そして黄金を偽造する錬金術師も交換経済のシステムをかく乱する者たちであるということになります。当時は金は通貨の基本でもあり、金に対する物神崇拝(フェティッシュ)があって、黄金そのものに価値が宿ると考えられていたのです。
 もし簡単に金を作ることができるようになれば、金の価値は暴落して、価値を失うことになるわけですが、かといって交換経済が根底から破たんするわけではないのです。金の代わりのものが通貨になるだけです。たとえば紙でできた紙幣が通貨になればいいわけです。金の偽造は、実は偽造ではなくて、技術革新なのです。それは人工のダイヤモンドと同じことです。それにたいして紙幣の偽造は明らかに偽造です。
  ですから、金の偽造をことさらに罪と見なすのは、金の物神崇拝に基づいているわけで、交換経済の基本事項に関する誤解に基づいているわけです。