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2016年8月3日水曜日

ダンテ『神曲 地獄篇』第8歌 怒りと怠惰



ダンテ『神曲 地獄篇』第8歌 怒りと怠惰


 地獄の内城ディースの城門の前で悪魔が立ちはだかります。これまで登場してきた怪物は古典古代的な怪物であり、それとは異なりここで登場するのはキリスト教内部の悪魔です。古典古代の理性の持ち主であるウェルギリウスはこの悪魔に太刀打ちできず、中に入る交渉は失敗します。二人は足止めを食らいます。このキリスト教内部の悪魔はキリストによってなおも克服されいない悪魔、より一層の魔性と凶暴をもった悪魔であり、それはキリスト教内部で生まれてきた悪魔です。この悪魔は、ある怒りの性格を刻印されています。この怒りとは闘争本能としての怒りです。
 かつてキリストによって地獄が征服されましたが、まだ掌握されていないところがあるのです。

 解説によれば、このあたりもダンテの実際の体験と重ねることができるようです。キリスト教内部の悪魔とは悪しき教皇たちとみなしているようです。ダンテは白派の外交使節として教皇側との交渉にあたって失敗し、教皇派と黒派によって導かれたシャルル・ド・ヴァロワ率いるフランス軍がフィレンツェに入場し、クーデターが成功。白派がつぶされ、白派の有力者であるダンテは国外追放および死罪の宣告を受けました。
 キリスト教内部の悪魔である教皇庁と交渉して失敗したことがこの第8歌に反映されているようです。
 第7歌では、政治闘争の重要な側面である利権を争うことについて貪欲が語られました。第9歌では、政治闘争におけるもうひとつの重要な側面である、闘争本能としての怒りが語られています。また、それにたいして、神による正しい怒りが対比されているわけです。



一連の流れをまとめると次のようになるようです。

5歌:封建貴族の暴力
6歌:都市の分裂と暴力
7歌:教皇庁の貪欲
8歌:神の法を無視する闘争本「怒り」


 しかし、ここでより根源的なテーマに目を向けると、キリスト教内部の悪魔とは、古典古代の怪物以上に恐ろしいものではないかということです。これはキリスト教それ自体の内部問題であるとともに、ヨーロッパ内部の政治意識、権力構造、社会体制も絡めた大きな問題をはらんでいるという視点も重要だと思われます。当時のキリスト教の内部で発生し、キリスト教によって支配されない内なる悪魔は、古代の悪魔よりより一層凶暴なのかもしれないともおもわれるのです。
 古代理性の代表であるウェルギリウスは、理性の敗北に怒ります。