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2016年10月17日月曜日

★★ ダンテ 『神曲 地獄篇』 再掲 (全体) ★★


 長くダンテの『神曲 地獄篇』にかかわって細切れになっていましたが、それらを集めて、ひとまとめにしてここでアップしておきたいと思います。

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ダンテ『神曲 地獄篇』第3歌

 二人は地獄の門に行き着きます。そこには一切の希望を捨てるように、などと刻まれています。

 そこをくぐると地獄に向けて極めておびただしい数の人々の行列がありました。アロケンの河の渡し船の船頭カロンはダンテを見て、彼が地獄ではなく、煉獄に行くべきであることを見ぬいて、船に乗せることを断ります。ウェルギリウスはカロンに神の意志を伝えるとカロンは黙って二人を船に乗せ河を渡りました。そこは地獄の第1圏、古代の有徳な異教徒たち(未受洗者)が住む地獄の辺土(リンボ)です。彼らは未決の日々を送っています。ダンテの導師である詩人ウェルギリウスもその一人です。アダム、アベル、アブラハム、ダビデなどもかつてそこにいたことがありましたが、イエスがやってきて彼らを天上に連れて行ったといいます。
 そのうちダンテの前に現れたのは詩聖たちホメーロス、つづいてホラティウス、さらにはオウディウス、最後にルカヌス。彼らとしばし語ったあと、彼らは、私ことダンテを彼らの仲間に加える栄誉を与えてくれました。
 その他、トロイ関係や、カエサルを含めた古代ローマ関係の人物もいました。
 また更には、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどの古代の哲学者も居たのですが、その中の最高位がアリストテレスでした。その他に、デモクリトス、タレス、エンペドクレス、ヘラクレイトス、ゼノンなどなど。




ダンテ『神曲 天国篇』第4歌



 ダンテによって幾つかの問いが立てられ、ベアトリーチェがそれに答えますが、まずはそのうち2つから。
 まずは第1の問。プラトンの説によれば、死んだあと魂は星に帰るというふうになっているが、天上における魂の占める位置について、その様相を説明してほしいという問いです。
 第2の問いは、他人の暴力によって功徳が減じるのは何故なのか、という問いです。
 この2つの問いについて、ベアトリーチェは答えます。

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 思うに、この二つについてのベアトリーチェの答えは、わかったようなわからないような、というより平たく言うと、わかりません。
 わかりにくい要因の一つとしては、劇画風なまでの具象的であるがゆえに、かえってわかりにくいのだと思われます。
 新プラトン主義と位置付けられもするプロティノスの抽象的議論の方が、まだわかりやすいように思われます。プロティノスにおいては、「第一者」、「知性(存在)」、「魂」というふうに3つの様相を呈しています。詳しくは該当のページにて。
 また、ここでダンテが持ち出したプラトンは、天上にも煉獄にも住んでおらず、地獄に留め置かれています。プラトンが異教であるというたった一つの、しかも不可避的な落ち度だけで地獄に落とされたままなのです。キリストは地獄を征服したときに、早々に旧約聖書に登場するアダム(イブではありません)をはじめとした面々を地獄から天国に引きあげたのに対して、プラトンなどの古代哲学者たちは全員、地獄からは救い上げられなかったのです。というのも彼らはギリシアの地に生まれた異教であるがゆえに罪ありとされたからです。もっともその罪は悪意がないがゆえに、地獄の辺土(リンボ)にとどめおかれています。彼ら哲学者たちは、悪鬼などに責め立てられることはないものの、格別存在感を発揮せずに、そこはかとなく生きつづけているのです。まるで骨に抜きになって生殺しにされているかのように。どうやら彼らはあまり哲学さえしていないのではないか、という雰囲気です。異教の思想は、推奨されていないのでしょう。


ダンテ『神曲 地獄篇』第5歌

 第2圏 淫乱

 憤怒の姿が恐ろしいミノスの管轄する場所です。
 ここには愛欲にふけった者たちの魂のいる場所です。クレオパトラ、ヘレナ、トリスタンとイゾルデなどがみられます。
 そしてフランチェスカ・ダ・リミニという既婚女性とパオロ・マラテスタというその義理の弟が恋人同士にだったのですが、この二人がここにいました。二人は道ならぬ恋にはいって命を奪われ地獄に落とされました。ダンテがラヴェンナで客となっていたころには二人はまだ存命だったようです。二人は夫のジャンチョットにより1285年に殺害されました。つまり夫は自分の妻が弟と不倫をしていたことに怒り、殺害しました。この実話は当然大変有名になりました。殺害された二人は、神によって地獄に落とされました。そしてここ第2圏、淫乱の罪悪にいて責められています。
  もっとも第2圏では、あまり恐ろしい怪物も現れず、責め苦は比較的軽いところでした。この二人は美しく悲しい恋愛であったが道を誤ったということになるでしょう。
 ダンテは意識を失い次のステージ第3圏に至ります。まるで解離のように一つのステージから次のステージへと移りゆきます。


ドミニク・アングル『パオロとフランチェスカを発見するジャンチョット』(1819年)


ロダン『接吻』


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 このエピソードについてはダンテがベアトリーチェという既婚女性を愛したことと比較せざるを得ません。ダンテはベアトリーチェを遠くから愛しただけです。そしてこの著作『神曲』では、彼女は神のもとへと導くほどにまで高められます。
 既婚女性との恋愛に関して、地獄に落ちたこの二人とダンテ・ベアトリーチェの二人との違いは、地獄と天国ほどの違いがあるとみなされているわけです。何が分けたかというと、「肉欲」とされるものと「ほほ笑みへの挨拶」とされるものの違いであろうかと思われます。
 ダンテにおいて『新生』においてベアトリーチェへの愛は明らかに性愛化されています。この『神曲』においては性愛化の度合いが減じているものと思われます。これは年月が経ったが故でもあります。

 また古代ローマのオウディウスは初代ローマ皇帝アウグストゥスによって、追放され黒海の近くの町で不遇のうちに死去しました。彼は、既婚女性との恋愛もテーマにした『恋の技法』という著作に書いたからでした。それにたいしてホラティウスは自由恋愛を説きましたが、既婚女性を対象としていないがために罪には問われませんでした。皇帝は、家庭という枠組み、そして家父長の地位と権威を守ることが、国家としての成り立ちの基礎と考えていたのではないかと思われます。

 またダンテの上の話は、メーテルリンクの『ペレアスとメリザンド』(Pelléas et Mélisande )に似た話でもあります。はたしてペレアスとメリザンドは死後に地獄に落とされたでしょうか。たしか天国に召されたのではないでしょうか?殺害者ゴローがむしる嘆き悲しみ悔い改めたのではないでしょうか。

 モリエールには寝取られ亭主cocuのテーマが頻繁に出てきますが、浮気をした女性が死後に地獄に落とされるのか天国に召されるのか、そのようなことはほとんど問題になってないくらいであるように思われます。たとえば、『アンフィトリオン』ではゼウスがアンフィトリオンの妻の初夜を寝とります。ゼウスの罪はいかがなのでしょうか。地獄に落とされるのでしょうか。

 またより本質に関わることでもありますが、ペトラルカの『告白』ではペトラルカが愛したラウラは、ほぼベアトリーチェに相当するようにも思われます。それにもかかわらずペトラルカは、これを再発しやすい病気とみなして、もうラウラを思い出すような事柄から一切離れることしか治療法がないと見なしています。そしてこの病気の欺瞞の一つが次のこととされています。つまり、自分では崇高な愛だと思ってはいても、ラウラの若く美しく性的な身体的特徴があったればこそ、この病が発生したのであった、相手が老婆であれば決して発生しなかったような愛であると。

 このようにダンテの崇高化された愛、そして地獄天国の振り分けに関して、疑問が生じるのが禁じ得ないのですが、それでもダンテの性愛化されながらも崇高化されているようなタイプの愛になにか重要なものが含まれているようです。




ダンテ『神曲 天国篇』第5歌 (誓願について)

  「誓願」について述べられています。
 「誓願votum. vows」はカトリック教会の修道について用語です。貞潔,清貧,従順の誓いが中心となっています。有期誓願の更新を繰り返したのちに、最終的には誓願式(終生誓願式)において生涯にわたって神に奉仕することを誓います。
 ダンテは誓願を神の最大の贈り物、最も大切なもの、神の力に最も似つかわしいもの、つまり「意思の自由」を表すとみなします。人間に備わる自由意志はこのように価値が高い能力であるゆえに、自由意志に基づく誓願は、神に届くほどの行いとされます。また、それは神への愛の一表現でもあります。
 誓願の重要性を説くと、やがて光明が満ち、あまりの光明が二人に集まってきて、歓喜にあふれた魂の姿がそこから現れてきました。
 ダンテとウェルギリウスは、第2の天である水星に向かいます。

ダンテ『神曲 天国篇』第6歌 (ローマ皇帝権の正当性)


東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世


 信仰の有り様、生き方によって、天国の頂上から地獄の底に至るまで位階秩序のようにして構成されています。
 さてここで二人は、極めて信仰心の厚い東ローマ皇帝ユスティニアヌスと出会います。彼は法を整え、キリストに帰依した賢明なる皇帝とされます。その彼でさえも天国の下の方の階層に位置付けられています。といっても相当に良い美しい世界なのですが。

 ダンテはローマ皇帝による統治に正当性を認めていて、初代皇帝アウグストゥスのころにイエスが現れたのも実は神の計らいによって連動させれているとみなします。

アウグストゥス

 また、神の正義の象徴である「鷲の力」はアダムに由来する原罪を償わせるべく、イエスに「復讐」しました。
 そしてダンテの時代の教皇党と皇帝党の争いと正当性を否定します。

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 ユスティニアヌス1世(483年 -565年)は 、東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第2代皇帝。のちに「大帝」とも呼ばれるようになりました。帝国領を拡大し、ローマ法大全を整え、またハギア・ソフィア大聖堂を建設するなどビザンチン文化の隆盛の立役者の一人でもありました。
 彼は神学にも熱心に取り組み、宗教に献身し、聖人にも列せられていました。


ダンテ『神曲 地獄篇』第6歌 貪食

 ダンテが目を覚ますとそこは第3圏、貪食と飽食の地獄でした。当時、それは社会共同体よりも己の欲望を優先させる社会悪でもありました。それが都市において獣のように政治抗争を繰り返すことに至っている根源の一つと考え荒れているようです。またそこではケルペロスという怪物がいて、貪欲さのパロディのような外見であり、亡者の身体を著しく損傷させています。
 これらのことはフィレンツェの政争を批判していると思われます。黒派と白派があって、ダンテは白派に属していましたが、ダンテはその双方ともに批判的であったようです。

 政治抗争は利権をめぐる抗争であると思われます。ただ、それだけで政治抗争がすべての説明されるわけではないと思われます。


ダンテ『神曲 天国篇』第7歌
 ローマおよびローマ法の適正さについて。
 ローマ皇帝ティトゥスが、ユダヤ人の瀆神がゆえにエルサレムを滅亡させたことは神意であるとします。


ローマ皇帝ティトゥス
アダムの罪は、神の赦しと、人間自らの贖いのいずれかが必要ですが、人間の能力には限界があるから、その両方が必要になったのでした。どうやら人間は神ではないので自らによる贖いの能力にはおのずと限界があるということのようです。その結果として、イエスの磔刑によって、贖罪および神の赦しが達せられました。そしてローマ帝国の行いも神の計画の一部であるとされます。それにともなってローマ帝国の正義の正当性も述べられています。



ダンテ『神曲 地獄篇』第8歌 怒りと怠惰


 地獄の内城ディースの城門の前で悪魔が立ちはだかります。これまで登場してきた怪物は古典古代的な怪物であり、それとは異なりここで登場するのはキリスト教内部の悪魔です。古典古代の理性の持ち主であるウェルギリウスはこの悪魔に太刀打ちできず、中に入る交渉は失敗します。二人は足止めを食らいます。このキリスト教内部の悪魔はキリストによってなおも克服されいない悪魔、より一層の魔性と凶暴をもった悪魔であり、それはキリスト教内部で生まれてきた悪魔です。この悪魔は、ある怒りの性格を刻印されています。この怒りとは闘争本能としての怒りです。
 かつてキリストによって地獄が征服されましたが、まだ掌握されていないところがあるのです。

 解説によれば、このあたりもダンテの実際の体験と重ねることができるようです。キリスト教内部の悪魔とは悪しき教皇たちとみなしているようです。ダンテは白派の外交使節として教皇側との交渉にあたって失敗し、教皇派と黒派によって導かれたシャルル・ド・ヴァロワ率いるフランス軍がフィレンツェに入場し、クーデターが成功。白派がつぶされ、白派の有力者であるダンテは国外追放および死罪の宣告を受けました。
 キリスト教内部の悪魔である教皇庁と交渉して失敗したことがこの第8歌に反映されているようです。
 第7歌では、政治闘争の重要な側面である利権を争うことについて貪欲が語られました。第9歌では、政治闘争におけるもうひとつの重要な側面である、闘争本能としての怒りが語られています。また、それにたいして、神による正しい怒りが対比されているわけです。



一連の流れをまとめると次のようになるようです。

5歌:封建貴族の暴力
6歌:都市の分裂と暴力
7歌:教皇庁の貪欲
8歌:神の法を無視する闘争本「怒り」


 しかし、ここでより根源的なテーマに目を向けると、キリスト教内部の悪魔とは、古典古代の怪物以上に恐ろしいものではないかということです。これはキリスト教それ自体の内部問題であるとともに、ヨーロッパ内部の政治意識、権力構造、社会体制も絡めた大きな問題をはらんでいるという視点も重要だと思われます。当時のキリスト教の内部で発生し、キリスト教によって支配されない内なる悪魔は、古代の悪魔よりより一層凶暴なのかもしれないともおもわれるのです。
 古代理性の代表であるウェルギリウスは、理性の敗北に怒ります。






ダンテ『神曲 地獄篇』第9歌

 ウェルギリウスは、自らの力が及ばない先ほどの状況について怒りのそして不安の面持ちであり、ダンテは彼に大丈夫かと尋ねると、大丈夫という返事。ただしどうしてもこの戦いに勝たねばならないと話します。そこにフリエという3匹の恐ろしい怪物が現れ、メデゥーサを呼んでダンテを石に変えてやるぞと脅かします。するとメドゥーサが現れます。この脅威に対して、ウェルギリウスはダンテを後ろ向きにさせ、手で目をふさいでくれました。そこに天の使者が現れ、メドゥーサをしかりつけ、退散させ、ダンテたちにはろくに言葉をかけず、この場にいるのもいとわしい、早く天に戻りたいというふうに、さっさと天に帰っていきました。
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 解説p538を読みますとにアレゴリー解釈について述べられています。アレゴリー解釈とは字義通りとは別の次元での解釈のことであり、ここでは「歴史的」「倫理的」「神の存在にかかわる」という別々のレヴェルが挙げられています。
 メドゥーサは絶望であり、信仰の否定です。それに対して、ウェルギリウスは理性は持つが信仰は持たないために、メドゥーサに対処しきれないのです。ウェルギリウスはダンテを後ろむきにして、目をふさぐことしかできないのは、結果としては信仰の盲目状態に相当するものともみなせます。
 そこに神の使いである天使が現れることで、はじめてメドゥーサを追い払うことができました。




ダンテ『神曲 地獄篇』 第10歌  異端者




第10歌

 次に異端者たちが封じられている石棺が並ぶ第6圏へとすすみます。その石棺の一つに異端のエピクロス派がおさめられていましたが、そこに、ファリナータ・デッリ・ウベルティという皇帝党の首領がいました。彼はダンテよりは一世代前の人物です。彼はイタリア史上重要な人物です。
 彼は神聖ローマ皇帝フェデリコ2世の文化創成の影響下にありました。皇帝はローマ教皇庁に対抗して、エピクロス派のアヴェロエスのアリストテレス哲学を取り入れ、ファリナータはその信奉者であるが故にエピクロス派の異端者とされているわけです。ファリナータは、当人の死後に、ダンテが18歳との時に(1283年)、ローマ教皇庁から異端宣告で破門され、墓が暴かれ屋敷が破壊され一族の財産が没収されるという事件が発生しました。
 さかのぼること1260年に、ファリナータは、フィレンツェと教皇の連合軍をマンタペルティの戦いで殲滅しましたが、戦後処理会議でフィレンツェの壊滅案を破棄させフィレンツェを救いました。
 他方では、教皇党である白派のカヴァルカンテ・カヴァルカンティも同じ墓に入っていました。彼は息子のグイド・カヴァルカンティを探します。グイドは、ダンテと同じ清新体派の詩人でした。グイドはアヴェロエス主義を奉じていました。そして彼は皇帝党のファリナータの娘と結婚しました。政治的な融和を図る目的でもあったと考えられています。もっとも、この目的は全くかなえられませんでした。
 長期にわたる一連の政治的な党争に関わった人々の多くが敵味方に関わりなく地獄に落とされているようです。

 地獄は階段状に落ちていきますが、この第6圏から次の第7圏には大きな落差があります。




ダンテ『神曲 地獄篇』第11歌 暴力者


第10歌はいわば踊り場的なところで、第11歌では第7圏へと至ります。ここは暴力者の圏です。そして第1小圏から第3小圏に分かれています。
 


ピカソ ゲルニカ

 ここはミノタウロス(半牛半人)がいて、この獣が生前にテセウスに倒されたため、その悔しさのあまり自らを噛んでいます。彼は第7圏を守ります。また第1小圏はケンタウロスが守護します。
 この圏には、戦争などで暴虐と略奪を行った者たちが落とされています。そして血の川が流れています。
ダンテ『神曲 地獄篇』第13歌 自殺、浪費
 



 第7圏第2小圏
 葉のない醜いコブのある枝が茂る、ものすごい森へと入りました。この樹々には、自殺者の霊が封入されています。わわば「自殺者たちの森」です。
 ここでは神聖ローマ皇帝フェデリコ2世の側近であるピエロ・デッラ・ヴィーニャがいました。皇帝軍が教皇軍に敗北した際に、彼は皇帝から情報漏えいの罪で目つぶしの刑に処せられ、その年のうちに、自殺しました。神にもらった魂と肉体を自ら絶つことは、神に対する裏切りとされています。

 また猟犬のようになった雌犬に四肢を食いちぎられる男もいました。彼は浪費者の罪です。雌犬には教皇庁の意味もあるらしいです。

ダンテ『神曲 地獄篇』第14歌 神を罵った者

 神に対する暴力者たち、すなわち冒涜者たちが、仰臥して天に向かっています。そのなかにカパネウスの姿がありました。彼はギリシア神話のなかの英雄でテーバイぜめの七将のうちの一人です。彼は高慢から神(ゼウス)を冒涜したということで、神の雷に打たれて死にました。
 このあとにはウェリギリウスは人間の罪について述べていていますから、人間の罪の象徴としてカパネウスを持ってきたとも考えられます。

 ダンテ『神曲 地獄篇』 第15歌 同性愛



 ブルネット・ラティーニという人物と出会います。ブルネットはダンテの45歳年上の師です。ブルネットはダンテであることに気づき「何たる不可思議」と驚き、彼に手を差し伸べました。師は35歳にも満たないダンテが臨終を迎えてずしてここにいることを不思議に思って、いきさつを尋ね、ダンテが説明しました。また師はダンテがフィレンツェの市民からひどい扱いを受けるだろうと、ダンテの行く末(つまりフィレンツェからの追放刑)について暗い予言をしました。
 ラティーニははイスラム文化を受容した百科全書のような書物『宝典』やアリストテレスの『ニコマコス倫理学』をアラビア語からフランス語に翻訳しました。そしてイスラム文化は当時の西欧ではギリシア由来の同性愛的側面を受け継いでいるというイメージがあったらしく、またラティーニは同性愛的であるがために地獄に落とされたということのようです。また「同性愛」についてですが、とくに大きな意味があるのかないのか不詳です。
 またこの15歌はなぜ暴力者の圏にはいっているのでしょうか。






ダンテ『神曲 地獄篇』 第16歌 金融業の発達
 炎で焼かれた3人の貴族がダンテをフィレンツェの人であることを認めて、駆け寄ってきました。彼らはダンテが生きたまま地獄の地に立てる理由を教えてほしいと懇願します。彼らは高名なフィレンツェの勃興期において活躍した貴族(であり政治家です)。そして彼らはダンテにフィレンツェの近況を尋ねます。ここでは経済的背景もふくめて説明されます。フィレンツェは国際金融業を発展させ、農業を基盤とする封建領主の大貴族の支配を打破し、周辺領地をフィレンツェに吸収しつつ、彼らは都市に住み、農民も大量に都市に流入しました。これらの人々が「新参者たち」です。そして「降って湧いた大儲け」をした金融業者や商人たちは軍事力も手に入れて、政治的な覇権をめぐって抗争に明け暮れ内戦のような状態になっていました。
 戦争の背景については、経済情勢があることがここでは示唆されています。
 次には金貸しを暗示する悪魔が登場してきます。



ダンテ『神曲 地獄篇』第17歌 金融業者

 その異形の者は第8圏から浮上してきました。この悪魔は不潔極まるなりをしていました。それを怪獣ジュリオーネ(ゲリュオーン)といいます。胴体は蛇に似ていて、腕は獅子のようであり、しかし、顔は正義の人であり善人です。善良な見せかけで話かけ、蛇のように狡猾に人を欺き、獅子のように力が強い腕を持ち、最後は二股の毒針を持つ尾でとどめを刺すとされています。
 いくつか前に出てきたミノタウロスは理性なき怒りの化身でしたが、彼は戦闘本能、政争の本能のようなものにちかいかとおもわれるのですが、ここでは高利貸しや大銀行家、あるいは金融資本家に近いものかと思われます。もっともダンテの父親も金融業を営んでいて、必ずしも全ての金融業のことを言っているのではなくて、あくどい者たちのことを指しているようです。また、金融経済が戦争を招いているということになるようです。ですから金融関係も暴力者の圏に入っているのでしょう。 当時のフィレンツェおよびその周辺では、血なまぐさい抗争、殺戮が引き起こされていました。

 ウェルギリウスは第8圏にはいるために、下に降りる手助けをするようにジュリオーネに話をつけています。またダンテは、ウェルギリウスにすすめられて、高利貸したちを見に行きました。

 その後、二人はジュリオーネの背中に乗って巨大な絶壁の下、第8圏へと下降し、暴力者の圏を後にしました。


ダンテ『神曲 地獄篇』第18歌

 第8圏にやってきました。この圏の底は悪の袋という意味の「マルボルジュ」という名で呼ばれる10の谷(巣窟)にわかれ、それぞれが人々で埋め尽くされていました。悪鬼がすさまじく鞭打っています。
 第1巣窟は金と権力の獲得のために女を利用したり、女の愛情につけこんだあげくにあだで返したりした男たちです。そのうちの一人の男が、ダンテに気が付き、顔を伏せましたが、少し遅すぎて、ダンテに見つかります。彼はボローニャのカッチェネミーコという男でした。彼は自分の勢力拡大のために、妹を無理やり公爵の情婦にしました。またギリシア神話の英雄イアソンもいました。彼は一人の女を誘拐して捨てたのでした。

ボッティチェリ

第2巣窟は甘言の罪の男たち。そして娼婦たち。彼らは糞尿の中に漬けらていました。魂をむしばむような誘惑の甘い言葉はいまや糞尿となって、そのなかに彼らは漬け込まれています。このように、ここでもまた悲喜劇的な描写もなされています。



第19歌


第3巣窟にて。ここは聖職売買者(聖職売買とはシモニアと一般に呼ばれます)の巣窟です。そこでダンテは教皇ニコラウス3世(在位1277-80)を見つけます。この教皇はダンテが思春期前期あたりの在位です。彼らは地面の穴に頭から突っ込まれていて、ふくらはぎは出ています。さらに火であぶられています。この教皇はダンテを教皇ボニファティウス8世(在位1294-1303)と勘違いをして話しかけてきました。ボニファティウス8世が死んで地獄に落とされるのが予定よりも数年早くて、驚いています。逆さにされて穴に突っ込まれているので、はっきり見えなかったのです。
 彼の頭の下には大勢の先輩たちが押し込まれています。今後も順番にそこに押し込められるのです。またクレメンス5世(アヴィニョンの最初の教皇在位:1305年 - 1314年)もまた聖職売買の常習者であり、上述二人の教皇を上回る悪党とされています。かれもまたやってくるであろうと。

 ダンテがニコラウス3世などの教皇の貪欲を厳しく責め立てていますと、教皇の憤怒からか良心の呵責からか判然とはしませんが、突き出した両足が激しく空を蹴っていました。ウェルギリウスはダンテのこれらの責めの言葉を満足げに聞いて、両腕で彼を抱きました。
 このあたりもコミカルな描写となっています。

 ダンテの生没年は1265年 - 1321年ですので、これらの教皇はダンテの思春期から壮年期にかけて在任しました。ダンテと同時代の教皇たちです。ここでも教皇の腐敗が非難されています。
 イタリア内部での党派対立、神聖ローマ皇帝、フランス王、教皇の腐敗と凋落ぶりを告発することがこの『神曲』のテーマでもあります。
 また300年近く時代が下った1612年にマドリッドで『神曲』が異端として告発されました。この書が教皇を批判したからというよりは教会を攻撃したからだとのことです。もっともダンテは教皇位も教会も否定していないようですが。

 (ちなみにボニファティウス8世は前任の教皇を退位させ、のちに彼を殺害、また教皇庁の勢力を拡大し、フランスと結び、トスカーナにも権力を及ぼしましたが、フランスと対立し、「唯一にして聖なる」教皇は諸王に優越するとする教皇勅書を発し、フランス側に異端者として面罵されて退位を迫られ憤死しました。)

 教皇の悪徳ぶりについて、ダンテの非難は、滑稽さと皮肉も混じえつつ、激烈です。聖職者の最高位でありながら、彼らは地獄に落とされて、最悪の状態にさせられています。頭から穴に突っ込まれ転倒させられているのは、生前彼らの頭の中も転倒していたというようなことでしょう。そして次から次へと上から押し込まれて、穴の下にはわんさか同類が押し込まれているのです。そしてなおかつ地獄の業火であぶり焼き続けられます。
  ここには、教皇をはじめとする聖職者たちに対する猛烈な怒りがあります。ダンテは彼らを罵倒して、ウェルギリウスはそれを聞いて満足して、完全に同意します。



第20歌 預言者

 第4巣窟にて。
 ここの亡者の群れは魔術を使った罪により落とされた人々です。その魔術とは未来を予言するという魔術です。彼らは首を後ろに捻じ曲げられ、みな後ずさりしながら歩いています。ギリシア神話の預言者アンピアオラス、テレイシアスの姿などが見られました。テレイシアスはギリシア悲劇で名高いのですが、なぜ彼が地獄に落とされ、このような姿にさせられているのかわかりません。解説を読んでもわかりません。中世では予言は魔術の一つとされていたからだそうです。しかし、それよりも、もっと深い意味で予言にたいする意見があるのかもしれません。


 
第21歌 汚職者
 第5巣窟にて。
 ここではタール状の液体のなかで罪人たちが煮られています。悪鬼がルッカという都市の市政が汚職で蔓延していると仲間に話しながら、ルッカの有力者をひっぱてきて、また他の有力者を連れてくるために、ルッカに戻っていきます。彼らは職権乱用による不正取引や汚職により蓄財した者たちです。
 ダンテ自身が汚職の罪でフィレンツェを追放されました。またルッカは黒派の拠点だったようです。また悪鬼の名は黒派の有力者の名前らしいです。

第22歌
 ここも第5巣窟にて。
 悪鬼が逃げ遅れたカエルような男を池から熊手で救い上げます。彼は元の騎士でした。当時の騎士や騎兵は獰猛で、騎士道などとは無縁の人たちであり、しばしば略奪殺戮強姦をしました。彼らは獣のように残虐非道であり、フランス軍は特にそうであったともされます。もっとも神聖コーマ帝国のほうも、相当なもので、大分後の話ですが、ローマで暴力の限りを尽くしています(ローマの略奪)。ダンテは彼らに対して憎悪と軽蔑を込めています。
 ところで、すきを見たこの男は逃げてしまい、悪鬼たちの間で喧嘩が発生して、一匹の悪鬼が池の中に落ちてしまう。
 
第23歌 偽善者
 第6巣窟にて。
 先ほどの悪鬼たちが翼をひろげて追いかけてきて頭上まで迫りましたが、ウェルギリウスはダンテを抱きかかえて守り、何とかやり過ごしました。この辺りはとくに冒険小説的なところです。
 第6巣窟では偽善者たちが群れていて、鉛でできた重い外套を着せられています。二人の修道士、当時、安逸助修士とよばれたらしい人です。この修道士は騎士団修道会に属する修道士であり、イタリア各地での派閥抗争をなくして、各家庭に平和をもたらすことを目的としましたが、会規が甘くて、安逸修道会のあだ名がつけられました。
 またダンテらは教皇党のカタラーノ・デイ・マラヴォルティと皇帝等のロデリンゴ・デッリ・アンダロというふたりの騎士階級の人物と会いました。二人は党派の騒乱を防止する平和回復の目的で1266年にフィレンツェに入り政治の権限を与えられましたが、任務に失敗して、逃げ出しました。1268年には教皇党が実権を握りました。逃走した彼らを偽善者としています。

第24歌 盗賊
 第7巣窟
 盗賊たちは蛇のような奇怪な爬虫類どもの恐ろしい群れのなかに投げ込まれて、そのなかでおびえ切った裸の亡者たちはが走り回っています。彼らは後ろ手に縛られています。蛇にかまれると燃えて灰となり、やがて灰が集まってまた元の姿に戻ります。この亡者たちの中に黒派のヴァンニ・フッチがいます。ここでもやはり当時の政争の立役者の一人が登場です。彼は盗賊と見なされています。また彼は、白派の破滅も予言します。

第25歌 盗賊
 ここも第7巣窟です。
 ヴァンニ・フッチは指を卑猥な形にして天に向け、侮辱しました。蛇はすぐさま彼の首に巻き付きものが言えぬようにしました。彼は逃げましたが、ケンタウロスが後を追います。また黒派白派の人物たちも幾人か登場します。彼らは蛇と融合したり、姿を交換し合ったりしました。
 当時の騎士の時代では、騎士は欠乏するものを戦って奪っていました。フィレンツェなどで商業が発達すると、貿易、所有に基づくようになりました。騎士たちは王侯貴族の組織に組み入れられます。他方では盗賊を生業とする者もいました。

第26歌 偽りの忠告
第8巣窟
 ここでは、はかりごとをして他人を欺いた亡者たちが押し込められています。
 そのなかにオデュセウスとディオメデス(アキレスに次ぐギリシアの英雄)がいます。彼らは火で焼かれています。彼らは木馬の奇計を共謀したとされる罪です。
 オデュセウスまで地獄に落とされて地獄の業火で焼かれているのですね。
 
第27歌 偽りの忠告
 グイド・ダ・モンテフェルトロというイタリアの君主が現れます。彼は教皇と覇権を争いましたが、のちにフランチェスコ会に入信しアッシジの修道院で生涯を閉じました。彼もまた地獄に落とされました。なぜ彼は地獄に落とされたのか今一つよくわかりませんが、ボニファティウス8世の懐刀でもあったともされます。
 
第28歌 分裂扇動者
第9巣窟。
 ここでの最大の分裂扇動者はイスラムの創始者ムハンマド(マホメット570-632)です。中世の俗説では、ムハンマドはキリスト教会の教皇選に敗れて諦めきれずに、イスラム教を立ち上げて分裂させたという話がありました。ダンテの『神曲』もこの考えに与しているようです。ムハンマドは異教というよりは異端です。ムハンマドはキリスト教会を分裂させた罪により地獄に落とされたのです。ここでは地獄に落とされる理由の不条理さが特に際立っています。

 ボッカチオの『デカメロン』では「3つの指輪」にエピソードがあります。そこでは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教のうち、どれが正当であるのかという問いに対して、いまやどれが正当なのかよくわからないと答えます。『デカメロン』では、これはまことに賢明な答えと見なされています。それと比べて、私が思うに、ダンテは暗く硬い真面目さが突出しています。
 ムハンマドは悪鬼によって切り裂かれ、内臓は飛び出してぶら下がっています。これはダンテによって主催された異端審問で下された刑罰だということになります。ダンテの判決は、断定的であるだけでなく、愚かでさえもあります。
 一方的に決めつけて、意見の違いから何も学ぼうとしない、向上しない、それでも『天国篇』では天上に向かって浄化されていく、これはいったいどうしたことでしょうか?地獄では、横並びに様々な人物が登場しては消えていきます。彼らは切り捨てられているのでしょうか。たしかに極悪非道にして倒錯的な人間もいて、それはそれでよいかもしれません。しかし地獄ではからなずしもそんな人々ばかりではありません。地獄にいる人たちに対しては切り捨てられる人もいれば温情をかけられる人もいます。しかし総じて地獄のダンテは人々と出会いながらも、ダンテ自身が何ら向上も成長もないのではなかとおもわせるところが、地獄でもあります。そういった観点からしても、地獄とはダンテ自身の内面の地獄でもあろうかとさえも思われるのです。このムハンマドにたいする刑罰は、そういう思いを抱かされるものでした。端的に言って、誤りであると言えるでしょう。



第29歌 偽造者

 第10巣窟にて。
 ここでは錬金術師がいます。
 錬金術には、大きく分ければ二つのモチベーションがあって、一つは哲学的な知の探究や化学への興味関心によるものと、もう一つは黄金の偽造を意図するものです。もちろんその双方が混合していることもあろうかと思われます。地獄に落とされているのはこの二つ目の黄金の偽造者です。フィレンツェは製造や商業の都市であり、交換経済の公平性が基本にあります。ここで第5巣窟に落とされている略奪者は、古い騎士であり、戦って奪う輩であり、人に危害を加えるだけでなく、交換経済のシステムにもそぐわない者たちでした。そして黄金を偽造する錬金術師も交換経済のシステムをかく乱する者たちであるということになります。当時は金は通貨の基本でもあり、金に対する物神崇拝(フェティッシュ)があって、黄金そのものに価値が宿ると考えられていたのです。
 もし簡単に金を作ることができるようになれば、金の価値は暴落して、価値を失うことになるわけですが、かといって交換経済が根底から破たんするわけではないのです。金の代わりのものが通貨になるだけです。たとえば紙でできた紙幣が通貨になればいいわけです。金の偽造は、実は偽造ではなくて、技術革新なのです。それは人工のダイヤモンドと同じことです。それにたいして紙幣の偽造は明らかに偽造です。
  ですから、金の偽造をことさらに罪と見なすのは、金の物神崇拝に基づいているわけで、交換経済の基本事項に関する誤解に基づいているわけです。
 
第31歌
第9圏コキュートス 裏切り者
 二人は地獄の底の中心にある井戸に達します。その井戸から巨人たちが上半身を外に出しています。
 第9圏では裏切り者が封じられています。裏切り者とは多数いるのですが、最下層には最大の裏切り者とされるのはユダに代表されるでしょう。

 けたたましいほどの角笛の音を聞きましたが、これはフランス中世の叙事詩『ロランの歌』に由来しています。カール大帝の皇帝軍が撤退するときにしんがりを務めた甥のロランが味方の裏切りにあい敵軍によって殲滅されたのでした。
 ウェルギリウスは巨人たちに自分たちを第9圏に運ばせました。

第32歌
 裏切りを繰り返してきたイタリアの各地の都市国家の罪についてでもあります。
 第9圏の第1円域です。
 兄弟殺しのカインについて触れられます。
 第2円域。祖国や党派を裏切った者たち。1260年のモンタペルティの戦いでフィレンツェの教皇党政府を裏切って敗戦させたボッカ。ダンテはボッカに暴力をふるって痛めつけます。ここには教皇党と皇帝党の争いで裏切りをした者たちが6名程いました。

 第33歌
 ウゴリーノ伯爵。彼は教皇党でピサの全権を委任され、ジェノヴァと制海権を争った敗戦の処理を行いました。しかしこの敗戦のりょりをめぐって、裏切りとされ、飢餓の塔に4人の息子とともに幽閉されました。子供たちは父親に自分の肉体を食べ生命をつなぐように言いました。
 ウゴリーノ伯爵が地獄の最下層に落とされた理由は、ピサを裏切ったことと、子供の肉体を食べて生き延びたせい。もっとも彼が幽閉されたのは、ピサの大司教だったこともあるルッジエリ(ウゴリーノ伯爵の従兄弟でもある)によって裏切られたせいでもあります。ウゴリーノはこの怨念の復讐のためにルッジエリの頭をかじって脳を食しているのです。


第34歌 解説P614
 いよいよ地獄篇の最後の歌です。
 ユダとブルータという二人の裏切り者。そして地獄をぬけてこれまでの様相が異なることについて。魔王ルシフェルの転倒した姿に見えるようになったことについて。





 「地獄の王は旗翻(はたひるがえ)す」(「あるいは地獄の王の軍旗の群れが近づいてくる」)ではじまります。この旗とは魔王ルシフェルの翼の比喩でもあるとのことです。またこれは「王は旗翻す」という6世紀の祈りの詩(うた)を作り変えたものです。魔王ルシフェルが神の世界とはさかさまになっているということでもあります。実際、地獄から見るとこの魔王は立っているのですが、天国からみると、魔王は逆さにされて地獄に突っ込まれているのです。この魔王ルシフェルはもともとは最高位の天使で、光を運ぶものを意味する名前ですが、天地創造の後に、自分の美しさから神に反旗を翻したために、怪物の姿に変じられ地獄の王として落されてしまったらしいです。自己愛による尊大さに起因する罪によって地獄に落とされたのでしょう。
 ルシフェルはきわめて巨大で顔が三面あります。正面は赤、右は薄い黄色、左は黒。それぞれの顔の下にはきわめて大きな翼が二枚ずつ(合計6枚)はえていました。羽毛はなく蝙蝠(こうもり)のような翼です。翼をはばたくと風が発せられます。ルシフェルは氷から胸の半分を現していました。6つの目からは涙が流れ、3つの口からは涙と血が混じった涎(よだれ)が垂れていました。彼は機械のように罪人をかみ砕くまるで機械仕掛けの人形のようなのですが、3つの口で3人の罪人をくわえていました。
 一人はユダであり、頭から噛みつかれて足は外に出てうごめいていました。あとの二人は皇帝カエサルを暗殺したブルータスととカッシウスでした。ブルータスは共和制ローマを復興しましたが、これはダンテの中世末期の共和制都市国家間での内戦状態の原型のようなものとみなされているようです。カエサルを裏切って殺すことで内戦状態という間違った方向に導いた罪です。

 時は夜になっていました。この地獄を踏破したのは24時間です。この地獄のすべてを観ました。もはやダンテは発たなければなりません。ルシフェルの毛をつたって、氷の隙間から下に降りました。そして地球の中心部に達しました。つまり北半球から南半球の境目を通り抜けてきたのです。すると重力は反対方向になり、南半球側におりたつと、ルシフェルは転倒した状態に見えて、両脚を上に向けて突き出していました。ルシフェルは穴から地獄に突っ込まれていたのでした。それは第19歌の穴に突っ込まれた教皇たちの姿にも似ていました。この教皇たちも頭が転倒した特徴を持っていました。天使だったころのルシフェルは無比に美しい姿だったのですが、魔王に変じられてからはたいへん醜くなっています。この点でも逆になっています。
 北半球の地獄は夜に入りましたが、逆に南半は朝でした。これもさかさまになっていました。そして南半球には煉獄があります。これから煉獄に入ります。
 北半球はキリストがエルサレムを中心とした陸地であり、魔王が失墜したときに南半球の陸地が北半球に逃げて移動したために海になっています。北半球は罪にけがれており、南半球は神の側です。南半球の内部の土によって煉獄山も形成されて、その頂上に楽園があります。
 そしてダンテは上方の星々を観ました。地獄には星々は見えませんが、煉獄では星々が見えるのです。星々は希望を表します。
 南半球の頂上には煉獄山の頂があります。