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2016年12月8日木曜日

ダンテ『神曲 煉獄篇』 第4歌


 第4歌

 煉獄山の登り口から煉獄山の急峻な道を上っていきます。煉獄山が位置するのは、キリストにより人類の原罪が贖われたエルサレムの対極であり、その山の頂(いただき)にはかつて無原罪の人類アダムとイブが憩っていたエデンの園があります。それは下の図のようです。



 煉獄山は、頂が見えないほど、急斜面や断崖を多く伴っています。この険しい煉獄山を登ることは倫理的な完成を目指すのに必要な労苦を意味しています。人が頂まで到達した暁には、天国に昇るにふさわしい存在になります。ダンテはこの山を頂まで踏破しようとします。ダンテは努力の人でもあり、休むことなく頂上を目指そうとして、自らの意識的な力を頼みとしすぎるところがあります。また、ウェルギリウスは理性の人であり、理性を過信しすぎるきらいがあり、このようなダンテに「一歩たりとも下がってはならぬ」かなり上のほうに行ったら楽になるところに来るからその時に休めばよい、と鼓舞します。それに対して、ダンテのかつての友人ベラックワは、ダンテに忍耐を学びつつ、休む必要もあることを伝えます。この友人は素朴な人ですが、生前から怠惰なところもありました。ダンテはウェルギリウスの後に続きます。
 このあたり、実際のところ、どうなのでしょうか。ウェルギリウスが完全に正しいということになるのでしょうか。怠け者のようなところもあるこの友人をわざわざ登場させているのもなにか理由があるかもしれません。