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2016年12月5日月曜日

ダンテ『神曲 煉獄篇』 煉獄の守護者、小カトーについて。




Caton d'Utique lisant le Phédon avant de se donner la mort (Cato of Utica reading the Phedo before comitting suicide). Marble, 1840. The work was started by Romand in 1832 and carried on by Rude after Romand's death in 1835.

 自害の前に小カトーはプラトンの『パイドン』を読んでいます。右手には短剣を持っていて、これで自害するのでしょう。『パイドン』は『ソクラテスの弁明』につづく書物であり、アテネ市民による公開裁判で死刑を宣告されたあと、それを受け入れ弟子たちと共に過ごしながら対話を行った記録という体裁をとっています。ソクラテスが死をどのように考えているのか、そして霊魂不滅説が唱えられます。そして「イデア」が論じされます。かれは最後には、毒をあおり自らの命を絶ちます。『パイドン』は小カトーの最期に相応しい書物です。


煉獄の守護者は古代ローマの小カトーです。マルクス・ポルキウス・カトーが正式な名前です。ポエニ戦争の時代に活躍したマルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(大カト)の曾孫にあたり、区別するために小カトーと呼ばれています。生没年:紀元前95年から紀元前46年。

 さて、ダンテにとってカエサルは極めて重要な人物でした。ダンテにとって帝政ローマという統治政体は、イタリアにとって重要なものであったと称賛しています。分裂したイタリアにとって帝政ローマは強力な政治体制でした。初代ローマ皇帝のアウグストゥス帝において、キリストが現れたのも、神の計らいであるとダンテは考えていました。カエサルを暗殺したブルータスとカッシウスは地獄で魔王に食い続けられるという責め苦を負わされています。この責め苦は永遠に続きます。他方、小カトーはカエサルと鋭く対決して、負けて紀元前46年自害しました。ダンテにとって偉大な皇帝に小カトー敵対し、さらにキリスト教では禁じられていた自殺を行いました。地獄には自殺者の巣窟もありました。加えて彼はキリスト教徒ではありませんが、ソクラテス、プラトン、アリストテレスでさえキリスト教徒ではないという理由で、地獄に落されていました(もっとも穏やかに暮らしているようですが)。しかし小カトーのばあいには、全く別格扱いです。彼は煉獄の守護者に任命されていて、重要にしていわば名誉ある地位についています。ブルータスらが永遠の責め苦にさいなまれることを運命づけられているのにたいして、小カトーは天国を目指している人々、つまり天国への門を開かれている人々を守護する人、そして最後の審判の日には彼自身も天国へ昇るはずです。小カトーはなぜ、このような地位にあるのでしょうか。
 おそらく、それは彼の清廉な人格と政治家としての信念、ストア派の哲学者でもあり、質素な生活をしていました。元老院の有力者としては、たいへん頑固一徹だったようです。彼は、自決することで多くの人々の命を救い、また皇帝に従属するのではなく、自由意思の理念を守ろうとしたということで評価されたのでしょうか。ダンテが小カトーを人間としても政治家としても尊敬していたのは明らかです。