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2017年1月16日月曜日

ダンテ『神曲 煉獄篇』 第25~27歌:★核心的な箇所



ロセッティ ベアトリーチェ

ここは核心的な箇所です。

第25、26、27歌

第7環道・・・この道は、7つの大罪を清める煉獄の最後の環道です。
淫乱
ここでは、好色の罪を犯した亡者たちが、猛火によって清められています。

 ダンテの愛は、(たとえばベアトリーチェのような愛の存在が)目を通じて最も高貴な器官である「心臓」の中にはいり、高貴な存在を求める衝動は理性によって制御されます。それにたいして道を逸れた愛の罪が扱われます。「愛」というテーマは、ダンテの詩の核心でもあります。
 ダンテにとって、愛それ自体は、善でも悪でもありませんが、ただあらゆる行為の原動力となり、世界のあり方と人間の発生の仕方そのものです。そして貴婦人たちは、魂を神(キリスト)のもとに導く力(徳)と同一視されます。つまりダンテの愛とは神に向かう愛、「アモール・カリタス」です。ダンテにとって、同じ清新体派のグイド・カヴァルカンティの愛とは神に向かうことのない愛「アモール・パッショーネ」であるとみなされ、批判的に克服されるべきとされているようです。
 ダンテは、天使の命令に対して、地上の肉体に拘泥して火の中に入ることができませんでしたが、ウェルギリウスがベアトリーチェの名前を出すことで、ダンテは火の中に入りました。これはベアトリーチェを介した神への愛に向かう導きです。ダンテは火をくぐり抜け、光の天使が彼を迎えました。煉獄は終盤に向かっています。
 ダンテはその後一眠りし夢を見ましたが、夜明けに目覚めた後、ダンテは階段を一心に昇ってついに最上段に到達しました。そのダンテにウェルギリウスは皇帝冠と司教冠で戴冠しました(27歌)。煉獄においては皇帝職も司教職もありません、それは地上にのみあります。ここでダンテに与えられた冠は、「抑え手」としての皇帝と「導き手」としての司教についての認識を得つつ、煉獄をくぐり抜けて頂上を極め、自らの行動と精神の適切な統治を獲得したことを意味しているようです。
 こういったことは、ダンテの政治的な思想、精神的な思想が正しいものであると認定するとともに、彼が十全にそれを体得できたということです。つまりダンテは自己の思想の疑う余地のない正当性と完全無欠を認定しましました。これを認定したのは外面上はウェルギリウスであり、それはつまり理性です。そして、これはダンテの理性でもあります。
 この頂上において、全体を見渡すことができるような境地に達したということであると考えられます。