分野別リンク

2017年1月18日水曜日

ダンテ『神曲 煉獄篇』 第28~33歌(最終歌) 地上の楽園


第28歌 地上の楽園

 ダンテとウェルギリウスは地上の楽園に到達しました。ここは、宇宙の調和と照応関係にある調和の世界であるとともに、人類の罪が発生した場所です。ダンテらは小川にぶつかり、それ以上進めなくなりましたが、対岸にはマテルダという美しく若い貴婦人が現れました。マテルダの眼には神へと導く「愛」が宿っていましたが、ダンテはそこに情熱の愛も見出したために、対岸に隔てられて、マテルダに近づくことができないのです。これはダンテがかつての情熱の愛を完全には払しょくできていなかったことを表していると思われます。

29歌 地上の楽園

 全てを知ろうとすることは罪とされます。エヴァはすべてを知ろうとしました。オデッセウスもそうです。(因みにのちの『ファウスト』も?)
 燃え上がる大気は光に輝き、これは神の世界との奇跡的な出会いを想起させます。もっともこれは神の世界そのものの到来ではなくて、「想起」であり、それは全き実現からは隔てられた奇跡的なことです。そしてウェルギリウスに代表される「理性」によってもこの奇跡を認識することはできません。
 やがて煉獄の7つの大罪と対照をなす、聖霊からの7つの贈り物(賢明、知性、忠告、剛毅、学問、慈愛、神の畏れ)の象徴である7つの燭台の光があらわれます。これは煉獄をめぐって7つの大罪が克服されたことを象徴しています。また旧約聖書をあらわす24人の白衣の長老たちが白いユリの花の冠を戴きマリアの受胎をたたえる歌を歌っています。そして4つの福音書を表す四つの霊獣もやってきます。またグリフォン(キリストを象徴)にひかれた戦車や貴婦人たちなども現れます。これらはそれぞれが、キリスト教的なアレゴリーに満ちています。このように地上の楽園では、キリスト教の天上世界を暗示するような豊満な象徴表現で満たされています。これはあくまで「暗示」であり、そのものではありません。



30、31歌 地上の楽園
 至高天の7つの星は7つの燭台のことですが、それは没することなく永遠にそこにある7つの恩寵であり、それは聖霊を意味します。これは北斗七星のように人類という船が歴史を歩むための目印となっています。
 旧約聖書の「雅歌」が聞こえ、遂にベアトリーチェが地上の楽園に降臨しました。ベアトリーチェは神へと導く奇跡のアレゴリーです。神性が地上の楽園に満ちて、ウェルギリウスに代表される「理性」の役割は終わりました。ウェルギリウスはいつの間にか消えていました。おそらくウェルギリウスは地獄に堕ちていったのでしょう。キリスト生誕以前の存在者は地獄に堕ちる運命にあるのです。
 ベアトリーチェはダンテに罪を悔い改めることを厳しく命じます。
 アダムとエヴァが神により高い能力を与えられながらも罪に堕ちたという原罪があり、この原罪はその後も繰り返されます。キリストの贖罪によって人類の罪は許されたはずだのに、実際にはそうならなかったのも人類に与えられた能力にもかかわらず、また罪に堕ちるからです。そしてダンテも高い能力が与えられたにもかかわらず、罪に堕ちました。このように繰り返されてきました。ダンテの罪とは、地上の事物の偽りの美しさに惑わされたこと、清新体派の詩とラテン・アヴェロエス主義の思想に染まったことなどです。ダンテは気を失い目を覚ますと、マチルダによって川の水に浸され「私を清めてください」という声が聞こえ、やがて「神の恵み」であるベアトリーチェのいるほうに渡りました。ベアトリーチェは顔を見せました。彼女の眼の青いエメラルド色は真理の「奥義を知ること」、そして彼女のほほえみは内面の神的な真実の光を表してます。

32、33歌 地上の楽園
 ここでもアレゴリーに満ちていますが。先ほどとはことなり、幻視の中でやがて鷲、狐、竜などが現れて戦車を攻撃することから、抗争が繰り広げられます。腐敗した教皇庁、そして地上でのかつてのダンテの政治抗争を反映しています。そしてベアトリーチェの預言によれば(つまり彼女の口を借りて)、賢明な神聖ローマ皇帝(その具体例としては神聖ローマ皇帝ハインリッヒ7世が推察される)が、教会とフランスを誅(ちゅう)するだろうといいます。また教皇側の具体例としては、ボニファティウス8世、フランス王および彼と協調したアヴィニョン教皇クレメンス5世です。

 以上で煉獄を一区切りにしたいと思います。このあと天国編では、ベアトリーチェに導かれて星々の世界、天国へと昇っていくことになります。