第8歌
第3天空の金星天にはいります。
プロヴァンス伯兼ナポリ王になるはずだった(つまり王位継承の請求権を持っていた)ハンガリー王、アンジュー家のシャルル・マルテル・ダンジューがダンテの前に現れました。彼は自分が早世しなければ、多くの凶事が起きなかっただろうと話します。ダンテにとって彼は統治者としての高い資質を持っていて、教皇党と皇帝党のあいだを調停すべく期待され、フィレンツェを通過する際にも市民に大変な歓迎を受けたようです。しかし感染症にて若干23歳で早世してしまいました。彼はダンテとも深く友愛の情で結ばれていたようです。
ダンテとダンジューは対話します。ダンテは市民としての友愛の徳を重要視します。アリストテレスの「人間は社会的存在である」という言葉にも触れられます。ローマ皇帝権の統治原理が「友愛」であることがダンジューの口を借りて述べられますが、しかしダンテは総じて皇帝権も失墜しているとも考えているようです。皇帝権は血統によって世襲されるのではなく、資質をもつ人物が担うべきであると考えています。
カルロ・マルテッロ・ダンジョ(イタリア語: Carlo Martello d'Angiò, 1271年9月8日 - 1295年8月12日)
フランス語名でシャルル・マルテル・ダンジュー(Charles Martel d'Anjou)
出生と死没はナポリ。