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2018年7月22日日曜日

4.父親から娘へ:une Vie『女の一生』

原文:

 Homme de théorie, il méditait tout un plan d’éducation pour sa fille, voulant la faire heureuse, bonne, droite et tendre.

Elle était demeurée jusqu’à douze ans dans la maison, puis, malgré les pleurs de la mère, elle fut mise au Sacré-Cœur.

Il l’avait tenue là sévèrement enfermée, cloîtrée, ignorée et ignorante des choses humaines. Il voulait qu’on la lui rendît chaste à dix-sept ans pour la tremper lui-même dans une sorte de bain de poésie raisonnable ; et, par les champs, au milieu de la terre fécondée, ouvrir son âme, dégourdir son ignorance à l’aspect de l’amour naïf, des tendresses simples des animaux, des lois sereines de la vie.

意訳:

 父親は理論派でもあって、娘の教育について計画をしっかり練っていました。それもこれも娘を幸せにして、善良で、品行方正で、優しい女性になるようにと願ってのことでした。
彼女は12歳まで家にいましたが、修道院に入れられたのでした。そのことで母親は涙を流して悲しみました。
 父親は娘を修道院に厳しく閉じ込めておいて、世間から見えないところで、世間を知らないままにしておきました。父親が望んだのは、娘が17歳になったら修道院から出て、清純なままに父親の手元に戻してもらって、父親自らの手で分別ある詩的な世界の産湯に浸してあげたいということでした。つまり、豊穣の大地のただなかの野や畑によって、魂を開かせたかったのです。その時娘は、無邪気な愛、動物の素朴な愛情、生命の安らかな摂理に目覚めるのです。

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娘を年頃になるまで修道院に入れておく話としては、モリエールの『女の学校l'école des femmes』(1661年)があります。もっともモリエールの場合には、主人公の中年男オロントが、義理の娘アニエスを修道院に入れて、年頃になったら、修道院から出して自分の妻にして、娘に悪い虫がつかないように純真なままにしておく、完全に自分のものとする、独占する、つまりくれぐれも妻が浮気をしないようにという戦略でした。それは、女がいかによく浮気をするか、それをどう食い止めるのか、という切実で深刻な不安からでした。しかし彼の目論見は裏目に出てしまいました。寝取られ亭主をフランス語でCocuコキュと呼びますが、モリエールには、cocuになって地団駄踏んで怒るというテーマが多いです。
 それに対して、モーパッサンの"une vie"はもちろんだいぶん違っていますが、父親の思い通りに清純にして貞節な娘にしよう、という意図はこれに呼応しているところがあります。女とはかくあるべしという思いがあります。ただ理論派の男でもあるというように、この男爵の場合には、ジャン・ジャック・ルソーの思想にシンパシーを持っていたともされています。彼はあまり信仰してもいなかったのに、思春期の娘を5年間もの長きにわたって修道院に入れて、自然のなかで目覚めさせたいと考えたのです。ここにはJ.J.ルソーの思想が背景にあります。自然とは善なるものです。自然状態の人間は善なるものです。人間とは自然の中に生まれれば自由にして善なるものです。文明が人間を悪くさせました。こういったルソー的な思想およびそれに基づいた教育を実践するために、修道院という環境を利用したのでしょう。修道院から出て、これから戻る「プープル」という屋敷(城)は、ノルマンディー地方の自然に満ち溢れ、豊穣な領地があるところです。
 ちなみにこの男爵はその妻(男爵夫人)が若かりし頃に、夫の友人と浮気をしていて今も当時のことを日々懐かしんでいるということを知りません。男爵は寝取られ亭主cocuだったのです。知らぬは本人ばかりなり。
 父親は娘の幸せを願って修道院に入れました。彼は後にこのタイトルになっている'une vie'という言葉を使いながら、幸福な一生を願っていることを娘に語ります。
 しかし娘への思いにかかわらず、そしてルソーの思想に基づく教育( 自然教育、自由教育)にかかわらず、裏目に出て、ジャンヌはとんでもなく悲惨な人生を歩むことになります。悲劇的でもありますが、これは作者モーパッサン独特の皮肉も混じっているように思われます。ジャンヌは世間知らずで、自らの力で切り開く力が弱く、困難に十分に対処しきれず、運命に翻弄されがちでした。早い段階で誰かが強力にサポートすることが必要であった思われます。父親の男爵はその点、どうも娘のことに関する介入が少なかったように思います。もっと強力に介入していたら変わっていただろうと思うのです。ただ、ずいぶん後になってようやく女中のロザリーがその役目を果たして強力にサポートをして、どうにかこうにかジャンヌを立て直したのでした。しかし遅きに失した感があります。ジャンヌは人生の大半を棒に振ってしまいました。しかしまだ希望はあります。