Le baron Simon-Jacques Le Perthuis des Vauds était un gentilhomme de l’autre siècle, maniaque et bon. Disciple enthousiaste de J.-J. Rousseau, il avait des tendresses d’amant pour la nature, les champs, les bois, les bêtes.
Aristocrate de naissance, il haïssait par instinct quatre-vingt-treize ; mais philosophe par tempérament et libéral par éducation, il exécrait la tyrannie d’une haine inoffensive et déclamatoire.
Sa grande force et sa grande faiblesse, c’était la bonté, une bonté qui n’avait pas assez de bras pour caresser, pour donner, pour étreindre, une bonté de créateur, éparse, sans résistance, comme l’engourdissement d’un nerf de la volonté, une lacune dans l’énergie, presque un vice.
「ジャンヌの父親は前世紀(18世紀)的な貴族であり、男爵の階級でした。そして彼は思い込みが強く、また善良でもありました。ジャン・ジャック・ルソーの熱心な信奉者であり、野原や森や動物たちなど自然をこよなく愛していました。
彼は、生まれながらの貴族ゆえに、1793年の大革命を本能的に憎みました。もともとの気質的には哲学者風であり、受けた教育からしてリベラルでもあるため、専制的独裁を忌み嫌っていました。とはいえその憎しみは、攻撃的というより、大げさに表明されたというようなものでした。
彼の強さと弱さという二面性を表すもの、それは彼の善意でした。彼は、愛情を持って撫でることも少なく、与える事も少なく、抱きしめる事も乏しかったのでした。まるで創造主の善意のようでした。彼の善意はとりとめもなく断片的で、神経が麻痺して意思が働かないかのように、それを実行するエネルギーが欠如していて、その善意はほとんど悪癖と言えるものでした。」
------------------------------------
のちに父親は、ジャンヌの夫ジュリアンの良くない行動を見るたびに、父親は一旦は怒るものの、すぐに引き下がるということの繰り返しでした。それが、父親の性格傾向によるものなのでしょうか。
なかなかわかりにくいところです。