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2020年10月27日火曜日

コンスタン『アドルフ』

 





主人公のアドルフという青年貴族は、美しいが貞操の堅い女性エレノールを陥落させるべく熱中しました。彼女も貴族出身で、ある貴族と結婚したも同然で子供を二人もうけていました。アドルフの目的は何でしょうか。それは恋愛関係とその果てに性的な関係を取り結ぶことです。これについては、当初から、アドルフ自身が偽りの愛であると自覚していました。知人が人妻と恋愛を成就させて大いに喜んでいるのを見て、それに触発されて、自分もやってみたいと思ったのでした。これには、彼の父親の影響もあると思われます。彼の父親は、女をものにするのも良し、棄てるのも良し、相手に少しばかり痛みを与えても、これから得られる喜びは大きいものだ、と言っていたのでした。こういった色恋沙汰には幾つもの要因が集約されている思われます。アドルノは、エレノールが拒んで逃げるので、ますます熱中します。この小説にはよく「自尊心」という言葉が出てきますが、恋愛には自尊心、あるいは自己愛がつきものです。彼が追いかけ、彼女が逃げる、というような状況のなかで、彼だけでなく彼女の方も心の中に興奮が呼び起こされているに違いありません。アドルフは大げさで巧みな言葉で彼女に言い寄ります。もはや、目的達成が近いと思われるし、アドルフはこれが本物の恋愛であるようにも思えてきたのでした。エレノールは、遂に互いに愛の言葉を交わすことを許しました。アドルフのエレノールに対してアピールしたのは情熱と献身と忠誠です。対してエレノールと夫の間にあった愛情は、彼女の献身と忠誠(含・貞節)に基づくものでした。エレノールはアドルフから献身と忠誠を熱烈に受けることになり、それがエレノールの心の中に愛を宿すことになったのでした。そしてとうとう彼女はアドルノにすべてを明け渡したのでした。つまり性関係を取り結びました。果たして、当初は偽物ではないかと思われた恋愛が、変転の後に本物の恋愛になったのでしょうか。

 エレノールは愛の自由を求めていたのだと思われます。彼女は夫との間の愛情は隠微な隷属関係にありました。忠実・貞節という名の下での隷属関係がありました。このような構造が彼女には耐えられませんでした。しかし、エレノールはアドルノとの新たな恋愛関係において、愛の名の下で、新たな隷属関係をつくったのです。エレノールの愛という感情ののもとに、エレノールとアドルフが隷属することになりました。愛の自由を求めることで、逆説的にも愛に隷属し、束縛され、拘束されることになったのでした。自由を求めることが新たなより強力な束縛や破壊を引き起こす例の一つです。これは範囲を拡大してみれば、この小説が書かれた当時のフランス革命で、自由を求める結果が厳しい束縛を生み出す現象が見られたこととも似通った構図があります。

 アドルフとエレノールがやっていることは、どんなにか危険で破壊的なことか。その破壊性とは、アドルノのなかに、だんだんとうんざりしてくるというある種の感情として現れてきます。そしてアドルノの心の中でそんな否定的感情が芽生えてどんどんそれが生育していきながらも、それを必死で抑圧していたのでした。エレノールはそんな感情を察知するかのように、怒りを露わにして、険悪な雰囲気が漂いはじめます。それはエレノールにとって決して意外だったのではなくて、内心恐れていた予感がやはり的中した、やっぱりそうだったのだ、という思いから来る怒りでもあったのですが、決して認めることの出来ないものでした。こうして泥沼が続きます。そんななか、エレノールは生活のすべてを投げ打ってしまったのでした。つまりそれまでの生活も二人の娘も夫もすべてを棄てて家を飛び出してアドルノに走ったのでした。そのとき既に、アドルノの恋心は既に冷めていて、ただ愛情深い言葉だけが踊ったのでした。内心はもう別れたいと思っています。それでも彼女に疑われないように、愛情を装って言いつくろいを積み重ねました。アドルフはエレノールの生活を破滅させたのですが、彼は、心の中では、既に彼女を振っていたのでした。思えば、彼女のこのフライイングがいけなかったのですが、彼女は棄てられまいとして死に物狂いであり、なるほど確かに彼女の精神的窮地と物質的窮地を救えるのはただ一人アドルノだけです。しかし、彼には、そんな気は無かったのです。いかに彼女と離れるかと思い続けながらも、それを悟られまいとして、ただ上辺の聞こえのよい言葉だけで、延々と優柔不断が続きました。彼女には、いい顔ばかりを見せて、彼女の疑いを晴らし、彼女の乱れた気持ちを静めようとしました。しかし不誠実さが透けて見えるから、それを彼女にさかんに攻撃します。アドルノは彼女から侮辱され価値を大きく引き下げられます。しかし、そんなさなかに父親が二人の関係を禁じる措置を講じたことで、裏目に出たのでした。アドルノの父親に対する反抗心から、エレノールに対する愛が再びぶり返したのでした。しかし、これもまた偽物です。本当に必要なのは真実の愛情のはずです。

 アドルノは父親の愛情については、無知でした。なぜだか彼にはそれが見えないままでした。父親の何か尊大なまでの態度の背景にある、愛情には目が向きませんでした。このことは重要なポイントであったと思われます。これは、アドルノが人の愛情が解りづらいというところがあるということのようです。そしてこれは、レオノーレの愛情についても解りづらいということでもあるようです。人の愛情を取り違えたり見落としたりして、本質とは違うところを見てしまう傾向があるようです。

 アドルノがやろうとしていることは、レオノーレとの関係を終わらせたいが、悲しませたくないということに要約することが出来ます。彼は良心に苦しみながらも、実はナルシシズムでウットリとしているようです。これほどにも泥沼化して、双方に甚大な損失が生じながらも関係をずるずると続けざるを得ないのは、エレノーレがアドルノに見捨てられたくない、という思いだけです。もはやこれはエレノーレの愛の実体になっています。アドルノの側の愛の実体はもう空虚しかなくて、「灰になったものをいくらかき回しても、火はおこらない」のです。これは名言です。原因や経緯がどうであれ、すでに結果がそのようになっている(つまり灰になっている)のであれば、原因や経緯をたどることはもはや無駄なことなのです。この水準では、いくら努力しても修復は完全に不可能なのでしょう。そしてこの関係を続ける限り「終わりのない嵐」なのです。

 以上のように思われても、あるいはアドルノは何かを見誤っているのかも知れません。父親の愛情を見誤ったのと同じように、エレノールの愛も見誤っているかもしれません。しかし、もうひとつ見誤っていたのは彼女が死ぬなどと言っていることもです。

 物語では彼女は実際に亡くなってしまいました。きっかけは男爵からの手紙で裏目に出たのであり、彼が彼女を棄てる決意を持っているのに言い出せないでいるということを知らされたことであり、それで絶望したのでした。これはいわば、精神的な死因であり、身体的な死因としてはおそらく何か毒でも用意していてあおったのでしょうか。

 生前に書かれた彼女の手紙は実質的には遺書であって、その中には、「あなたなしでは生きていけない」と書かれていて、これがすべての根源であると思われます。エレノールはすでにアドルノのなかに愛がないことを見抜いていて、アドルノこそが別れることを決断すべきであると手紙の中で進めているのでした。なぜなら、エレノールは自分から関係を切ることを期待されても、それはもはや無理なのだから、と。いわば、エレノールは愛が変貌して、愛の病に陥っているのであり、全くの無力の状態に陥っているのですから、決断はアドルノがしなければならない、ずるずる引き延ばしていけば本当に、自分が死んでしまうというようなことが書いてありました。いったいこの愛の病は何なのでしょうか。これが重要ポイントですが、謎です。

 いったいどうしたらよかったのか、それもまたわかりはしません。もっとも、わかることは、願わくは早めに彼が決断をしておけば、傷は深くても回復していた可能性が高かったでしょう。早ければ父親が言うように、すこしばかし痛いだけで済んだのかも知れません。私たちにはそれくらいのことしか解らないのです。周囲もそれを勧めていたし、アドルノもそう願っていたし、エレノールも内心それしか手立てがないと考えていました。

もしそうでなければ、二人の関係が別の方向に進展すればよかったのかも知れません。いつも同じ愛であるわけではなくて、愛は変化するものです。なにか穏やかな関係性へと変化することもあり得なかったのでしょうか。それもまたわかりません。不明です。

 何も出口も解決策もなくて、予測もできないということのようです。作者もどうしようもなかったことを描こうとしたと語っていたといいます。 

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 この作品は、コンスタンにとって実質的には唯一の文学作品です。彼は本来政治家であり、自由主義の立場であって、いろいろな政治論文があります。また宗教の研究の大きな著作があります。しかし、彼はこの一つの小説で、文学史のなかに心理小説の代表作の一つとして名を残したのでした。


  もう一つの観点は、ヒステリーについてです。この小説はすぐにこの観点には結びつかないものの、伏線としてこの観点も置いておいて、後々にまた考えてみたいと思います。この観点はとても重要なものとなりそうな予感もあります。この烈しい恋愛関係を読んでいるときには、当初はヒステリーという感じが余りしなかったものの、後で考えると、そういえばヒステリーという観点から考えるとどうだったのかと思いつきまます。あるいはエレノールは次第に少しずつヒステリー化していったようにも思われます。愛の病に陥ったことは、このヒステリーという病名を冠することも出来るかもしれませんが、少なく見積もっても、ヒステリーの観点から考えることが出来るのです。エレノールが失神して、どっと倒れ、そして死んだというストーリーはヒステリーの極致にまで達したようです。

 この著者が描いたことは、100年以上経って、噴出してきました。いわゆる境界性パーソナリティ障害です。近年はまた緩和してきました。まるで流行病のようなところもありました。切迫したような大流行でした。多くのエレノールやアドルノが現れたのでした。そしてこの境界性パーソナリティ障害の基礎はやはりヒステリーだということにもなるのでしょう。