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2020年12月25日金曜日

『獣人』エミール・ゾラ

 



La Bête humaine 1890年

 この小説には何人かの殺人者が登場します。ですからタイトルの「獣人」とはある一人の人物のことを指しているのではなくて、複数の人物を指していています。ただしタイトルは複数形になっているのではなくて、定冠詞がついていますから、獣人なるものとなっています。そして特殊な人間たちを抽出して描いたと言うよりも、ある独特の世界観において、たまたま特殊な人々が集まっている状況でありつつも、人間のもつ獣(けもの)の性質を描いています。また獣人と一般人を区別しているのは、実行力の差ではないかとさえ思われ、一体それ以外に何があるのかと思わせるような世界観のなかで描かれています。

 さて、主人公のジャック・ランチエはゾラの小説『居酒屋』の女主人公ジェルヴェーヌの息子である、という設定になっています。しかし『居酒屋』ではこのような人は登場していなくて、この『獣人』を書くにあたってジェルヴェーズの息子がもう一人追加されて誕生させたのでした。彼はジェルヴェーズの堕落と破滅(自滅)の遺伝特性を引きついだのでしょう。しかし、母親ジェルヴェーズや父親ランチエ(同名)と『獣人』の主人公である息子ランチエにどのような共通点があるのか、とてもわかりにくいです。両親に殺人者のようなところがあるとは全く描かれていませんでした。父親は人々を誘惑して操作することに長けていて、自分の利益のために人々を利用します。彼は寄生虫のように人に取り憑いては、吸い取って破滅させます。責任感や罪悪感などとは無縁です。しかし彼が殺人者であるとまでは描かれていません。そのような特性があったとしても不思議ではないのですが、そのようにはまったく描かれていません。息子ランチエは、親の気質を引きついでいるということが説明されていますが、よくわからないし、小説の内容全体から見てもよくわかりません。

 また獣人として描かれる、ランチエ、ルボー、セルヴィーヌ、フロール、ペクーなどは(またすこし言及されるだけの兄の画家エチエンヌ)は、それぞれが違う特性の獣人であって、この違いがあるが故に獣人という抽象的な括り方の方が相応しいのでしょう。ランチエももしかしてこの獣人の一人かも知れません。しかし、母親のジェルヴェーヌは、この獣人のカテゴリーに当てはまるかどうかは微妙です。この小説の「獣人」たちとは、すなわち殺人者たちであって、様々な心のトラブルや衝動によって人を殺す人たちです。ジェルヴェーヌは殺人者ではありません。したがって母親ジェルヴェーヌと息子ランチエは結びつかないのです。父親ランチエと息子ランチエは結びつく可能性がありますが、不明瞭です。

さて、是非とも着目したいここでは、ここで出てくる犯行の動機は金銭目的のものは一つもありません。すべてが性愛に関連した殺人衝動です。ルボーは自分の美しい妻セルヴィーヌが16歳の時に義父に手込めにされてそれ以降義父の愛人にさせられていたことを知るところとなり、怒り狂って義父を殺しました。セルヴィーヌは義父に対する恨みから殺人を幇助します。フロールは愛する男(ランチエ)をセルヴィーヌに取られたことにより列車を転覆させ多数の死傷者を出すという大惨事を引き起こしました。ペクーは愛人をランチエに寝取られたことによりランチエを殺しました。これらの犯行は、性愛を巡っての恨みや嫉妬を動機として実行に移すという点では共通していて、もちろん実行に移すという極めて大きな飛躍があるものの、その動機自体は誰にでもある感情です。行動面はまったく別格であっても、この心理面においては、普遍的であって、むしろ同じ状況になれば同じような感情が引き起こされ、それが無いことが珍しいほどです。しかし、それに対してランティエという主人公の心理的な動きは全く特殊です。平たく言って彼は今でいうシリアルキラー(連続殺人鬼)のような特性を持っています。彼は女性に性欲を感じると反射的にその女性に殺意を抱きます。彼はこれを行うことによって性愛の対象である女性を自分の心の中で永遠に独占できると思われるのでした。彼はいわゆる「サイコパス」とも呼べるかも知れません。しかし、彼は父親のランチエとは異なって、日頃から嘘つきでもないし、通常の良心が欠落しているわけでもないし、人間的な共感も普通に持っていて、今日でいう「サイコパス」の典型ではないと思われます。彼は人妻セルヴィーヌという若くて美しい女性を愛しました。きっとその愛情は本物だったのでしょう。普段は普通の人であるのに、時と場合によって彼は殺人鬼になります。それだけに彼の「病気」が際立っていて、さらにはそれがリアリティさえ持っているのです。彼のこの病気は彼の性格にとって付けたものではないようで、彼のいわば普通の性格に、親しいほどに併存しているようでもあります。その移行は滑らかで、自然であって、否応無しです。彼は生まれながらの殺人鬼であり、それはほとんど遺伝子によって規定されていて兄の画家エチエンヌと共有していることになっています。そして描写があまりに微に入り細に入りリアリティを感じさせるところがあることから、ゾラ自身にそのような特性があったのかもしれない、とさえ思われるのでした。母親のジェルヴェーヌの堕落と破滅の特性の描写の迫真生やランティエの他者操作の特性などの描写からしても、これもまたゾラのもっている特性ではないかとも思われるのです。こういった意味で、別々のものであるように見える特性が、一人の人物(作者)が想像力を羽ばたかせて作ったものでありながらも、自身の心の奥底をのぞき込みながら引き出してきたもの、というふうにして統合しうるものかもしれません。ですからこの遺伝の樹形図の全体像とは、他ならぬ作者の精神構造の樹形図でもあるのかもしれません。